VARを運用するのは、生身の人間。それを改めて思い知らされたEUROの一幕【小宮良之の日本サッカー兵法書】

2021年07月13日 小宮良之

スターリングは「ダイバー」の十字架を背負うことになるかもしれない

デンマーク戦でスターリング(白)がPKを獲得したシーン。メーレ(5番)との接触は軽いものだった。(C)Getty Images

 VAR(ビデオアシスタントレフェリー)を運用するのは、生身の人間である。

 それを改めて思い知らされたのは、EURO2020準決勝、イングランド対デンマークの一幕だった。

 1-1と拮抗した展開で、両者、どちらも譲らない。延長に突入し、前半終盤だった。右サイドからイングランドのラヒーム・スターリングが仕掛け、エリア内で倒れた。これがPKの判定になった。

 ただ、際どい判定にも見えたことで、VARが介入した。ビデオでプレーを再生すると、イングランドの関係者サポーター以外は「PKではない」というレベルのプレーだった。オンフィールドレビューを行い、判定は取り消されるはずだったが……。

 信じられないことに、VARはオンフィールドレビューを主審に提案せず(レビューを行わず)、PKの判定は覆られない。場内にいたイングランドのサポーターの圧力に屈したのか。あるいは、自信過剰だったか。このPKが勝負を分けることになった。

 VARは公正性を高め、担保するために導入されたツールだろう。しかし、必ずしも、そうはなっていない。主審の主観的判断が多く入るだけに、どこまで行っても、判定が難しい一瞬はありあまるほどある。

【動画】判定は妥当? 物議を醸しているイングランドのPK獲得シーン

 2021シーズン、JリーグでもVARが導入されている。プラス面もあるが、マイナス面も出た。

 例えばVARで試合を中断させ、10分近いアディショナルタイムを取った試合もあった。VARチェックに時間がかかり過ぎている印象で、サッカーというスポーツの根幹を揺るがしかねない。スピード感の中での劇場性に、サッカーの娯楽性はあるが、それがぶつ切りにされ、冗長としたやりとりに費やされる。その上で、納得感の低い判定が下されることもあるのだ。

 公平性を求めすぎ、サッカー本来の魅力を失うなら、本当にVARは必要なのか?

 少なくとも、VARは万能ではないし、どこまで行っても、万能にはならない。サッカーは非常に微妙なスポーツで、多くのプレーはグレーな部分を内包している。接触プレーは解釈によって、意見も分かれるもので、前後の"文脈"もあって、白か、黒か、ではない。
そこでVARによる検証で答えを出そうとして、少しでもそこに疑いが混ざった場合、強い遺恨となる。

 例えば、デンマーク戦でのスターリングはわざと倒れたわけではないだろう。軽く接触はあったし、倒された、という主張も成り立つ。トップスピードに乗った彼はそれだけの脅威を与える。しかし今回は、「その程度の接触は許容範囲」として、ファウルとされるべきプレーでもなかった状況で、彼はPKを獲得してしまった。

「ダイバー」

 スターリングは勝利の殊勲者の代償として、一部で不名誉な称号で揶揄されることにもなった。シミュレーション行為として裁かれるべきだった、という声すらある。彼は必要以上に批判を受け、これからも「また、転ぶぞ、お芝居するぞ」とダイバーの十字架を背負うことになるかもしれない。

 それはスターリングのようなクリーンな選手にとって、ふさわしくはないことだが……。

 VARを運用するのは、生身の人間である。

文●小宮良之

【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。

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