日本とミャンマーの意外な接点…約100年前に日本サッカーに大躍進の種をまいた留学生とは?

2021年05月28日 石川聡

今でこそ世界ランキングで28位と139位という大差がついているが…

アジアの強豪国だった時代もあるミャンマー。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 日本代表は5月28日、19時20分にフクダ電子アリーナでキックオフされるカタール・ワールドカップ・アジア2次予選の第6戦でミャンマーと対戦する。勝てばグループFで1位が決まり、2試合を残して9月スタート予定の最終予選進出が確定。2次予選はアジアカップ予選も兼ねているため、こちらは本大会出場が決まる。

 対戦相手のミャンマー代表は、日本でも大きく報道されているように国内の混乱とコロナ禍によって、来日を心配する声も上がっていた。しかし、日本サッカー協会は22日に来日したことを発表。チームを率いるドイツ国籍のアントワーヌ・ヘイ監督は試合前日のオンライン会見で「1週間で十分に適応できた」と笑顔を見せた。一昨年9月の2次予選ではヤンゴンで戦い、日本が中島翔哉と南野拓実の得点で2-0の勝利を収めている。5月27日に発表されたFIFAランキングではアジア最高の日本の28位に対して、ミャンマーは139位。今回の対戦について、控えめに言っても日本の優位は動かないだろう。

 それでも前回対戦の後にチームの指揮を執るようになったヘイ監督は「日本はアジア最高のチーム」と敬意を表しながらも、「われわれは選手が知られていないのが、まさにアドバンテージ。(日本が)苦戦を強いられる場面はある」と自信も覗かせる。2015年のU-20ワールドカップに出場したMFのマウン・マウン・ルイン、ヤン・ナイン・ウーらのプレーが楽しみだ。

 そのミャンマーだが、今でこそアジアの中でも低迷しているものの、まだビルマの国名だった半世紀ほど前はアジアきっての強豪国のひとつだった歴史がある。アジア競技大会では1966年に初優勝を果たすと、1970年には韓国と両チーム優勝で連覇。この間、日本がメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した1968年にはアジアカップで準優勝の成績を収めている。また、1972年には日本が予選で敗れたミュンヘンオリンピックに出場した。

 さらに歴史を遡れば、日本サッカーの草創期とも縁がある。日本サッカーの恩人と言えば、1960年代に日本代表などを指導したドイツ人のデットマール・クラマーが思い浮かぶが、今から1世紀ほど前に来日したビルマ人留学生、チョー・ディンも忘れてはならない人物。母国でスコットランド人からサッカーを教わったと言われる彼は、学問のかたわらサッカーの指導を行なった早稲田高等学院が、全国高等学校ア式蹴球大会で連覇したことから評判を高め、後には請われて全国で指導を行なったという。
 
 チョー・ディンが指導したのはスコットランドが持ち味としていたショートパスを駆使するサッカーで、小柄で俊敏な日本人選手には適していたのかもしれない。彼のまいた種はやがて芽吹き、それは1927年の第8回極東選手権大会における日本代表の国際試合初勝利(フィリピンに2-1)、1936年のベルリンオリンピックにおける対スウェーデンの「奇跡の勝利」(優勝候補の一角を相手に2点差をはね返す逆転勝利)につながったとさえ言われている。

 1923年には『How to play Association Football』という指導書を著し、サッカー普及にも貢献。こうした功績によって2007年には日本サッカー殿堂入りを果たした。日本蹴球協会創立50年を記念した『日本サッカーの歩み』(日本蹴球協会編、講談社発行、1974年)では「日本のサッカーを大躍進させた功労者」と讃えられている。

 今年は日本サッカー協会が大日本蹴球協会として創設されてから百周年。その歴史の始まりに発展の礎を築いたビルマ人がいたことに思いを馳せながら、日本との試合を見るのも感慨深い。(敬称略)

文●石川 聡

【日本代表PHOTO】ミャンマー戦に臨む招集メンバー26人
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