【三浦泰年の情熱地泰】古巣や同期、弟のクラブにチャンネルを合わせ…TV観戦で楽しんだ「Jリーグの日」

2021年05月16日 サッカーダイジェストWeb編集部

28歳の“誕生日”はTVの前でソファーに座り、ドリップコーヒーにデザートを食べながら…

古巣の清水は、ライバル名古屋との「東海ダービー」に挑んだが、柿谷の先制点などで3点を献上して完敗を喫してしまった。(C) SOCCER DIGEST

 Jリーグの日は予定が何も入っておらず暇な一日だった。

 Jリーグが28歳の誕生日を迎えたと前夜、ニュースや情報番組で村井チェアマンがTV出演をしていた。

 誕生日に例えられたら、僕は生まれた赤ちゃんの時の選手だ。0歳から11歳まで選手としてプレーした。そして、監督として7年弱を過ごした。

 28歳の誕生日は自宅にて、DAZNで試合観戦だ。TVの前でソファーに座り、ドリップコーヒーにデザートを食べながらJリーグを楽しんだ。

 まずはJリーグ元年に所属した清水エスパルスの試合にチャンネルを合わせた。場所は日本平、ホームで相手は名古屋グランパス。92年の前哨戦からオリジナル10の両チームは同じ東海地区に位置し、ある意味"ダービー"としてお互いをライバル視した。

 当時、名古屋はリネカーを助っ人して招聘。その後、監督にアーセン・ベンゲル、選手ではストイコビッチを補強して手強い相手となっていった。

 今でもJリーグ開幕戦は、大きなインパクトとして心に残っている。東海地区のライバルは、アウェーで鹿島に圧倒された。

 鹿島にはジーコ、アルシンド、マリノスにはラモン・ディアス、ジェフにはリティと、0歳児のJリーグには、実力のある魅力溢れる選手を補強したクラブが揃い、華々しくスタートした。

 清水エスパルスは地元に根付く市民クラブでスタートさせ、高校サッカーで活躍した選手を中心にメンバーを揃えていった。

 僕の年代で名を上げた選手たち、長谷川健太、大榎克己、堀池巧という清水東の三羽烏を地元に戻し、僕と向島建は彼らのライバル校である静岡学園の卒業生。東海大の新卒としてやってきた澤登正朗は、東海大一高出身。エスパルスのオリジナルメンバーのひとりとして地元のために帰ってきた。

 清水-名古屋戦と同時刻には、鹿島-横浜F・マリノスというハイレベルなチーム同士の好カードがあり、僕の古巣である福岡もアウェーで仙台と対戦。福岡は今シーズン、昇格組ながら素晴らしい位置につけているだけに興味もあるが、選んだ試合は当然、清水-名古屋だ。
 
 清水への応援気味な目線になるとともに、もちろん監督目線にもなる。

 試合はご存知な方も多いと思うが、ホームの清水が0-3の完敗を喫した。解説のコメントも勿論厳しかったが、しっかり仕事をした名古屋のブラジル人選手に対して、清水のブラジル人選手にはフラストレーションを感じるパフォーマンスであった。

 清水も名古屋もJ発足当時のように外国人選手をしっかり戦力として揃えているが、地元選手が少なくなっている。その代わりに、下部組織から育成されてプロになるという環境ができた。

 お互いを意識するクラブ同士ではあると思うが、今の順位はエスパルスが残留争い、グランパスはACL出場圏内でシーズンを戦えている。

 明暗が分かれ、対象的な立場だが、エスパルスがどう修正するのか、難しい状況は続きそうである。
 

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