【指揮官コラム】チェンマイFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|何事にも「本気」で取り組めているか?

2015年05月06日 サッカーダイジェスト編集部

「本気の指導者」は技術、戦術を教えるだけでなく、「心」を教えてくれた。

指導者にも選手にも「本気」で取り組む姿勢こそが重要だと力説する三浦監督。そうした基本的な姿勢の必要性をタイで改めて感じている。(C) SOCCER DIGEST

 僕は指導者として、いまの世の中の風潮にふと感じていることがある。
それは、何事にも「本気」になって取り組むということが減ってきている、ということだ。辞書で「本気」という言葉を引くと、『真剣な気持ち。また、そのさま。――を出す。――で取り組む』とあった。
 
 本気で人を育てるのは生半可な覚悟ではできない。例えば、人の親になって子どもをしつけ、育てるのにはどれだけ「本気」にならなければならないか。そこには想像以上の本気さが自然と生まれている気がする。仕事ではないのに、大きな責任が伴っているのだ。
 
 だが、いまの世の中、指導者は必死になって人を育てることができず、またはそうしづらくなってきているようだ。
 
 自分の体験で語れば、僕は「本気の指導者」から多くのことを学び、いまの自分が存在していると思っている。例えば、時間通りに動く、何時に起きて何時に出れば、何時からの練習に間に合うか。これはチームに所属した10歳足らずで知ることができた。
 
 15歳くらいになると、集団生活からもいろんなことを学んだ。チームで仲間を思いやり、助け合う。例えば、寝坊しないように気を付け、時には寝坊しそうな仲間を起こしてあげる。また時には一時の関係性の悪化を厭わず、ダメなことにはダメと厳しいことも言う。そういう間柄が本当の友達であり、仲間だろう。
 
 僕はサッカーを通して、こうしたことを学ぶことができた。「本気の指導者」は技術、戦術を教えるだけでなく、「心」を教えてくれた。必ずそういう部分があった。
 
 だから「タラタラやっている奴は家に帰れ!」と言われるのは当たり前であり、これを「言葉の体罰」と表現する人は本気で人を作ろうと(育てようと)していない。親が一生懸命に働き稼いだお金を子どもがやりたいことのために費やしているのに、そのお金でタラタラやっていれば当然、雷は落ちる(気合を入れられる)、と僕は思っている。そういう弱い人間を強くするのはそう簡単ではない。
 
 最近、「僕は褒められて伸びるタイプです」と自ら言う子どもや若者が多いらしいが、褒めているだけで本物が育つとは思えない。
 
 時には叱咤し、怒りを強く露わにしながらも、時には褒めて頭をなでる。こうやって皆、成長するものだろう。本気で人を育てるということは、そういうことではないだろうか。

次ページタイの生活習慣を否定するつもりはないが…。

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