「彰二、スペインに行きたいか」元日本代表FW城彰二氏が海外挑戦の裏側を激白!「完全にハブかれた」苦い経験も回想

2021年03月15日 サッカーダイジェストWeb編集部

給与未払いの末に渡されたのは…

1998年のフランスW杯、ジャマイカ戦でプレーする城氏。(C)Getty Images

 元日本代表FWの城彰二氏が9日、自身のYouTubeチャンネル『JOチャンネル』を更新。スペイン挑戦の舞台裏を激白している。

 現在45歳の城氏は、名門・鹿児島実業高から1994年にジェフユナイテッド市原に加入し、プロキャリアをスタート。高卒新人ながらいきなり開幕スタメンの座を掴むと、なんとデビュー戦から4試合連続得点を記録。瞬く間にチームの中心となり、1年目から12ゴールをマークした。以降14点、9点とコンスタントにゴールを量産するなかで、転機となったのは、プロ4年目からプレーした横浜マリノスで受けた「刺激」だという。

「元スペイン代表のフリオ・サリナスとプレーするようになって、プレーを見ていたらやっぱり『上手いなあ。こういう風になりたい、もっとこういう経験したいな』と思うようになって、スペインリーグをすごく見るようになった。その後、バルセロナ出身の(アントニオ・)デラ・クルスが(当初は)コーチで来ていたんだけど、監督になった。そうしたなかで、たまたま彼が『彰二、スペインに行きたいか』って話をしてくれたから、僕はすぐに『チャンスがあるなら行きたい』って答えた。そしたら『Jリーグで頑張って結果を残したら何とか繋いで行かせるぞ』って言ってくれた。

 それで僕も一生懸命やっていたら、どっかの試合前に監督室に呼ばれて、『明日の試合に大物代理人を呼んであるから、そこで点獲ったらスペイン行けるぞ』っていきなり言われたわけ。もう鼻息上がって、そしたら完全に空回り。なかなかシュートチャンスもなくて、やばいなと思っていたら残り5分かな。右サイドからボールが来て、それをコントロールしてゴールに流し込んだ。その夜に代理人と会うことになって話をしたら、『結果を残せるし、僕はスペインにコネクションもあるから、スペインに行こうか』って話になった」
 
 かくして日本が誇るゴールゲッターは2000年1月、当時24歳で1部のバジャドリーへ念願のスペイン移籍を果たした。ただ、加入当初から苦難の連続だったようだ。

「合流したときに40分ハーフ2本の紅白戦をやったんだけど、最後の5分まで1回もボールを触ってない。明らかにパスを出せるのに、出さないで向こうでミスしたりするわけよ。完全にハブかれちゃってて。それくらいよそ者扱いされたし、認められない。言葉も分からなかったからその辺も壁があるなと思った」

 それでも1日5時間以上の猛勉強で、なんとかスペイン語を習得したという城氏。すると自然とボールも集まるようになったという。

「よくテレビで『ボールは友達だから、言葉なんていらない』って言っている人いるけど、あれは絶対嘘。やっぱりコミュニケーションがいちばん大事。コミュニケーションが取れなければサッカーなんて出来ない、ひとりのスポーツじゃないし。コミュニケーションが取れるようになってからどんどんボールも集まるようになったし、監督の評価も高くなって、それで初得点も生まれた」

 また、動画内では「マリノス時代は億貰っていたけど給料が下がった」と、当時の給与事情にも言及。驚愕のエピソードを明かしている。

「外国人スポーツ選手の労働者基準があって、最低ラインは3500万円で、僕は最低にちょっと乗せたくらい。だから税金払うのが超大変。スペインの税金とその翌年に来る日本の税金とダブルで払うから。しかも中堅以下のクラブってものすごくお金がないから、クラブ運営がすごく大変で、未払いもあった。選手がクラブに『金払え』って言ったら、『ちょっと待ってくれ』って言われて、そのまま未払いが2か月続いて。選手で集まって話をして『だったらもうプレーしない』と幹部に伝えたら、幹部の出した答えがスポンサーのデパートの商品券。それしかないと言われた」

 スペインで過ごした1年で15試合に出場し、ラ・リーガで日本人初となるゴールも奪った城氏。濃密な日々は、生涯忘れることができない大きな経験となっているようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【動画】スペイン移籍から加入後の壮絶な苦悩まで!城氏の激白はこちら

【PHOTO】チームの歴史が一目でわかる!横浜F・マリノスの「歴代集合写真」を一挙紹介!

次ページ【動画】スペイン移籍から加入後の壮絶な苦悩まで!城氏の激白はこちら

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事