“ミラン化”が急加速! ベルルスコーニ、ガッリアーニがモンツァに描く夢物語「買収は運命だった――」【前編】

2021年02月13日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

ベルルスコーニによるモンツァ買収は運命だった――

ミランで一時代を築いたベルルスコーニ(左)とガッリアーニが、モンツァで新たな挑戦に挑んでいる。(C)Getty Images

 ミラン復活の陰で、野心的なプロジェクトが進行している。仕掛け人は、ロッソネーロを率いたかつての総帥ベルルスコーニとその腹心ガッリアーニ。"ミラン化"が進むモンツァに、彼らが描くロマンチックな夢物語とは。

「ミラノのすぐ近くに、君の知る古き良きミランがある」

 ACモンツァのアドリアーノ・ガッリアーニCEOが、ズラタン・イブラヒモビッチを狙った際の口説き文句だ。

 1912年に2つのクラブが合併して誕生したモンツァは、F1レースの開催地として有名な街を本拠地とする。同じロンバルディア州のミラノに隣接し、モンツァ駅からミラノ中央駅までは電車でわずか10分の距離だ。そんな立地にあるモンツァは、今シーズンを含め、セリエBには39シーズン参戦。何度かセリエA昇格のチャンスもあったが、一度としてトップカテゴリーに辿り着いた経験はない。

 とりわけ2000年代は苦難が続いた。01年にセリエC1(現セリエC)に降格すると、02年にはセリエC2(現セリエD=4部)に転落して、15年に破産。実業家のニコラ・コロンボが買収してクラブは存続できたものの、セリエCやDを行ったり来たりするばかりだった。

 そんな地方クラブに転機が訪れたのは、18年9月28日。イタリアの元首相でミランの元オーナー、シルビオ・ベルルスコーニが、所有する巨大複合企業『フィニンベスト』を通じて約300万ユーロ(約3億8000万円)で買収したのだ。
 
 モンツァのCEOに指名されたのは、ミラン時代にベルルスコーニの右腕として辣腕をふるったガッリアーニだった。ガッリアーニはミランを離れた後、『フィニンベスト』の役員を務めながら、政治家としても活動している。

 そのガッリアーニによると、ベルルスコーニは17年4月にミランを売却して以降、持ち掛けられたさまざまなクラブ買収話を断っていたという。それでもモンツァを手に入れたのは、「ミランとの比類なき関係を打ち消すことのない、唯一のクラブ」だったからだ。

 モンツァは97年にミランと提携し、若手の育成を担った歴史がある。かつては、アリエド・ブライダ(元ミランSD)やアレッサンドロ・コスタクルタ、マウリツィオ・ガンツ、ダニエレ・マッサーロ(現ミランのブランド・アンバサダー)、クリスティアン・アッビアーティと、ミランに縁のある選手が在籍していた。

 また、ホームスタジアムはベルルスコーニ邸からわずか数キロの距離にあり、ガッリアーニはモンツァ出身で、かつてクラブの副会長を務めていた。さらに、ベルルスコーニが買収する前の会長、ニコラ・コロンボの父フェリーチェは、77~80年にミランの会長を務めた人物だった。そのフェリーチェは78-79シーズンに、70年代で唯一のスクデットをミランにもたらしている。

 ミランとモンツァの関係を見れば、ベルルスコーニによるモンツァの買収は運命だったのかもしれない。

(後編に続く)

文●中村大晃
構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部

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