リバプールは5億円でC・ロナウドを獲得できていた!? マル秘交渉の舞台裏が判明「我々にはシナマ=ポンゴルが…」

2021年01月22日 サッカーダイジェストWeb編集部

“金の卵”と合意していたが…

マンチェスター・Uに移籍して一気にスターダムを駆け上がったC・ロナウドの驚きの過去が明らかになった。 (C) Getty Images

 ポルトガルの大エースが、また一つ、金字塔を打ち立てた。

 現地時間1月20日、ユベントスはイタリア・スーパーカップでナポリに2-0で勝利。ハイレベルな攻防戦が続いた一戦で貴重な先制弾をもたらしたクリスチアーノ・ロナウドは、キャリア通算760ゴール目を記録。公式統計でヨーゼフ・ビカン(759)を抜き、史上最多得点者となった。

 名実ともに歴代屈指のスターとなったC・ロナウドのキャリアの転機となったのが、2003年夏のマンチェスター・ユナイテッドへの移籍だ。

 当時、スポルティング・リスボンに所属していた18歳を巡っては、欧州各国のメガクラブが争奪戦を繰り広げたが、最終的に名将アレックス・ファーガソンが交渉に出向いたことで、"レッドデビルズ"入りが決まったとされている。

 激しい獲得レースにはマンチェスター・Uの"宿敵"リバプールも参戦。C・ロナウドが公の場で「リバプールはイングランドで最高のクラブだ。あの伝統のクラブの一員になるのは夢だ」と公言するなど、当時は「ポールポジションにいる」とも言われていた。それではなぜ、レッズは"金の卵"を獲り逃したのか。

 その舞台裏を関係者によって明るみになった。発言したのは、当時、ジェラール・ウリエ監督のアシスタントコーチを務めていたフィル・トンプソンだ。

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 英衛星放送『Sky Sports』のインタビューに応じたトンプソンは、リバプールはスポルティングと400万ポンド(約5億6000万円)という破格の金額で合意に至っていたことを明かしたうえで、こう続けた。

「私が彼と給与の話し合いをした時に、彼は年間100万ポンド(約1億4000万円)を求めてきた。18歳の少年にそれだけの額はありえないと思っていたが、『最低限の額だ』と強気だった。それでも、クラブ間で合意していた我々は、当時、チームにシナマ=ポンゴルとル・タレクというフランスから来たばかりの若手がいたこともあって、一度交渉を保留にした。そして、私はジェラールとリック・パリー(CEO)と相談して決めることにしたんだ」

 しかし、二の足を踏んだことが仇となった。「翌週にテレビを付けたら『ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドと契約した』と速報が流れたんだ」とトンプソンはライバルにターゲットを横取りされた当時の心境も語っている。

「その時、私はメルウッド(リバプールの練習場)にいた。あまりに信じられなくて、同僚たちと顔を見合わせたぐらいだ。彼らは1220万ポンド(約17億円)で契約した。一体どうやって数日で3倍にまで移籍金が跳ね上がったのか、慌てた私とジェラールはすぐに担当者に確認させた。すると、彼らとの話し合いを終えた時点で我々との交渉が破談していたことが分かったんだ……」

 C・ロナウドのその後の活躍については触れるまでもないだろう。それだけにトンプソンにとって、自らが責任者ともなった交渉の失敗は苦い思い出だ。インタビューの最後に次のように漏らしている。

「彼は明らかなポテンシャルを持った選手だったが、あの当時にここまで素晴らしい選手になることが予想できたのは誰もいなかった。おそらくマンチェスター・ユナイテッドにもいなかったはずだ」

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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