<2020ベストヒット!>「あまりに異なる国だった」名伯楽ヴェンゲルが英紙で“日本”を語る「外国人として地元の人以上に…」

2020年12月30日 サッカーダイジェストWeb編集部

「私は日本語も学ぼうとした」

世界的な名将となるヴェンゲルは、名古屋でのキャリアに何を思っているのだろうか。 (C) Getty Images

 2020年の名場面を『サッカーダイジェストWeb』のヒット記事で振り返る当企画。今回は、アーセナルで約22年間に渡る長期政権を築いたアーセン・ヴェンゲルが、英紙で振り返った名古屋グランパス時代の記憶に迫る。当時フランスからやってきた日本へやってきた名伯楽は、創成期のJリーグで何を想って指揮していたのか――。

記事初掲載:2020年10月13日

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「今思い返してみても、非常に興味深く、とてもエキサイティングな経験だった」

 現地時間10月11日に掲載された英紙『The Guardian』のインタビューで、プレミアリーグ史に残る名将アーセン・ヴェンゲルは、日本で辣腕を振るった時代をそう回想した。

 1996年10月から約22年間に渡る長期政権をアーセナルで築いたヴェンゲルだが、ノースロンドンに辿り着く直前には名古屋グランパスを指揮。当時、低迷していたチームの立て直しを成功させていた。

 就任1年目で年間総合順位3位(2ステージ制)に導き、最優秀監督賞を手にしたヴェンゲルは、天皇杯を制してクラブに初タイトルをもたらすと、翌シーズン(1ステージ制)にもリーグ戦で2位フィニッシュと見事な手腕を発揮したのである。
 約1年半と短期間だったものの、日本サッカー界で確かな功績を残したヴェンゲルは、「自分にとって有益なものだった」と当時を次のように振り返っている。

「私はよりオープンマインドになることができたと思う。私はモナコで働き、その後には日本とイングランドでも働いたが、全てが全く違うものだった。だが、その経験によって、より寛容になり、他の人々をより理解しようとした。結局は、その国の文化は幼少期に作り上げた考え方や行動様式から成るものだと気付くのだ。

 他人との出会いは、自分自身から抜け出して目の前にいる他人を見ようとしなければならない。それは、監督の仕事の一部で、それこそが、私が日本でやろうとしたことでもある。私は日本語も学ぼうとした。そして、どう振る舞うかを説明してもらうために日本人のアシスタントを持とうとしたよ」

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