<2020ベストヒット!>「選手ファーストじゃなかった」G大阪・昌子源が語った日本復帰の真相「3か月休むと給料が…」

2020年12月25日 江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)

「診断ミスみたいな感じだったので…」

ジュニアユース以来、久々にG大阪のユニホームを身に纏った昌子。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年の名場面を『サッカーダイジェストWeb』のヒット記事で振り返る当企画。今回はJリーグ開幕前、トゥールーズ(フランス)からガンバ大阪に加入した昌子源が語った電撃移籍の真相について取り上げる。日本復帰の真実とは――。

記事初掲載:2020年2月14日

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 2月3日に正式発表された昌子源の日本復帰は、日本サッカー界に衝撃を与えた。

 復帰先が鹿島アントラーズではなく、ジュニアユース時代を過ごした"もうひとつの古巣"ガンバ大阪だったこともそうだが、まだ27歳で日本に帰還するには早すぎるタイミングだったからだ。

 2月14日に行なわれたJリーグのキックオフカンファレンスに登場した昌子は、1年半でトゥールーズを退団した理由について、「選手ファーストじゃなかった」と切り出し、こう続けた。

「右足首の怪我が長引いていた。最初の診断ではこんなにかかるはずじゃなかったのに、4か月もかかった。いまでこそカズさん(三浦知良)やヤットさん(遠藤保仁)みたいに長く現役を続けている方もいますが、選手寿命は平均的に短い。例えば、35歳までどれだけ100パーセントできるかと考えたら、メディカルスタッフとの関係はとても大事。だけど、トゥールーズとは合わなかった」

 2019-20シーズンはその右足首の怪我に悩まされ、1試合しかも45分しかプレーできなかった。

「『骨と靭帯には異常がないからプレーしろ』と言われたけど、痛みがあった。『日本で診察したい』と言ったら始めは『ノー』と言われた。何とか了解を得て、日本で診てもらったら、違う診断だった。詳しくは言えないですけど、それをクラブに伝えたときの返答にも違和感を持った」

 その後、日本で治療したいと訴えたところ、許可が下りなかったという。

「治るというイメージが見えなかった。トンネルの出口が見えない感じ。トゥールーズのことを悪く言うわけではないですけど、実質的に診断ミスみたいな感じだったので……」

「自分のことを一番に考えてくれていない」

 そう感じたことが、退団を決意したいちばんの決め手となった。

 欧州内での移籍も視野に入れ、他のクラブでプレーしたことがある選手に連絡して情報を集めたが、「移籍したところで、そこのメディカルスタッフが良いかどうかはわからなかった。完治するまで待つという選択肢もあったけど、それまでの時間が無駄だと思った」
 

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