【三浦泰年の情熱地泰】福岡滞在中に考えた3つのこと。ソフトバンク優勝、憲剛の引退、そしてマラドーナ…

2020年11月28日 サッカーダイジェストWeb編集部

プロ野球ではソフトバンクが日本一に。応援するようになったのは…

今季限りで引退する中村が3度目のJ1優勝で有終の美を飾った。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 髪をカラー・カットするために定期的に福岡へ行くのだが、誰からも決まって、つっ突っ込まれ、「高くつくねー」と言われる。が、仕事も重ねて用事を入れて、気に入った美容師(ヘアーメイクさん)にやってもらう。

 そんな11月25日(水)、大変な日に、僕は福岡にいた。

 充実した1日であったが、まずはソフトバンクが日本一。予想通り?というべきか、ソフトバンクの3連勝で迎えた日本シリーズの第4戦では、すんなりと4連勝を飾ってジャイアンツ相手に圧勝した。

 そしてJリーグの川崎フロンターレも首位攻防戦を圧勝で制してぶっちぎりの優勝で力を見せつけた。野球もサッカーも王者は力の差を見せつけた。

 そして訃報がTVから流れた。アルゼンチンサッカー界のレジェンド、ディエゴ・マラドーナ氏が亡くなったという知らせだ。

 僕は大のブラジル代表ファンであっただけに、マラドーナ氏が選手時代に何度もやられた印象ばかりのマラドーナ。日本開催となった1979年のワールドユースでは、キャプテンとして優勝。彼のプレーを生で見られたことは大きな思い出になる。

 南米サッカー界の中でもペレの継承者として認められたマラドーナ氏が60歳で他界とは本当に悲しい知らせでもあった。

 今回はこの3つの大きな出来事について、話を進めていきたい。

 まずはソフトバンク。カミングアウトすれば僕は兄弟で大のジャイアンツファンであった。

 幼児期は巨人軍の選手を打順番に覚えていたし、江川卓さんの大ファンでもあった。

 もちろん長嶋茂雄、王貞治氏は憧れで僕らのスーパースター的存在であり、昭和30年代40年代生まれの人たちは頷いているであろう。

 歴代で一番好きな選手は槙原寛己さん。理由は大の仲良しで、友人でもあり、偉大なアスリートでもあるからだ。日本のプロ野球では、完全試合はマキさんが94年に成し遂げたのを最後に誰も達成できていない。

 そんな僕が今はソフトバンクを毎年、応援している。それは1999年にダイエーが初優勝した年に、僕はアビスパ福岡へ移籍。その年に福岡ドームへ観戦に行き、何人かの選手と知り合い、友人もできた。

 当時はダイエーホークスであり、王さんが監督。

 優勝まで苦労なさったが、優勝前年の98年に王監督に卵を投げつけたファンの記事に僕は激怒したのを覚えている。

 そんな気性の激しい人の多い福岡で、王監督率いるダイエーを応援して2000年には王さんと地元雑誌の企画で対談。キャプテンであった僕にアドバイスも頂き、その年は当時、最高順位を収めることができた。

 そんなダイエーがソフトバンクとなり、現在、工藤監督の元で素晴らしいチームとして日本の野球界を引っ張っている。今までの野球の常識を変える工藤監督の選手マネジメントが今のソフトバンクを支えていると、野球に詳しい知人から聞いたがコーチたちが勉強家であり、選手をしっかり育成して、そのノウハウを確立しているという。

 野球はセパ12球団で日本のプロスポーツとして、日本スポーツ界を背負っている。

 コロナ禍で20,000人上限の観客規制があったと聞く。福岡の知人は、なんとジャイアンツファンで第5戦のチケットを持っていた(笑)、というが、当然チケットは返金となった……。

 そんな例年と違う日本シリーズは、ソフトバンクの4連勝で幕を閉じた。
そんな凄い日に偶然にも福岡にいるなんて……なんて縁のある場所なのであろう。
「ソフトバンクの皆さん、福岡の皆様、ソフトバンクファンの皆様、おめでとうございます」
 

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