引退を発表した“不屈のMF”ガゴへの想い。取材嫌いだった男との思い出とは?【南米サッカー秘蔵写真コラム】

2020年11月23日 サッカーダイジェストWeb編集部

ボカの“聖域”で撮影していたら…

2005年にボカでキャリア初タイトルを手にし、感情を爆発させる若き日のガゴ。取材嫌いだった彼の笑顔を抑えた数少ない一枚だ。 (C) Javier Garcia MARTINO

 フェルナンド・ガゴが現役引退を表明した。

 ライバルチームの心無いファンからは「怪我ばかりする弱い選手」と揶揄されることもあったが、フェルナンドは強い男だ。プロのアスリートが5度も大手術を受け、リハビリを繰り返し、その度に復帰を遂げてくるためには一体どれほど強靭なメンタリティーが必要か。想像してみてほしい。

 そのメンタルを表すかのように彼は他人に対する警戒心も強く、やや近寄りがたい雰囲気を漂わせている。素顔の彼はとても穏やかで、若い選手たちからも敬愛される偉大なリーダーなのだが、信頼できるとわかった相手でなければ打ち解けることはない。

 今でこそフェルナンドと私は懇意な間柄にあるが、今から7年前、彼がヨーロッパからボカに戻ってきたばかりの頃は違った。私が正式にボカのオフィシャル・フォトグラファーになったのは、フェルナンドがレアル・マドリーでプレーしていた2009年のこと。そのため、古巣に帰ってきた彼は、以前まではいなかったチームフォトグラファーの存在をすぐに受け入れることができなかったのだ。

 SNSの普及に伴い、より選手に近い距離から写真を撮るようになっていた私は、以前まで選手だけの"聖域"とされていた場所でも撮影していた。だが、フェルナンドはそれが気に入ってはいなかった。
 

 監督はもちろん、他の選手たちは何の問題もなく写真を撮らせてくれるのに、彼だけはカメラを向けられることを極力避けた。クラブの広報部から頼まれてロッカールームの撮影をしていると、突然、フェルナンドが入って来て「もう十分だろう。そろそろ出て行ったらどうだ」と言われ、追い出されたこともあった。

 しかし、ブラジルで開催されたワールドカップの試合会場で出会ったり、ボカのキャンプや遠征で一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、フェルナンドは徐々に私のことを信頼してくるようになった。彼がチームのキャプテンになってからは、日々の練習の撮影について私が彼に相談するようになり、そこから信頼関係がより一層深まったように思う。

 フアン・ロマン・リケルメと同じように、フェルナンドも一度心を開くと誰よりも人懐っこく、親身な態度で接してくる。家族の写真を撮ってほしいと頼まれて自宅に行ったことも何度かあり、その度に一緒にマテ茶を飲みながらプライベートなことやその時の心境まで、いろんな話をしてくれた。

 それだけに、2017年10月に開催されたロシア・ワールドカップの南米予選で右膝靭帯を損傷した時や、2018年12月のコパ・リベルタドーレス決勝でアキレス腱裂傷を負った時は、私も心を痛めた。

 だが、私は怪我して彼の引退説が流れる度に、「それだけは絶対にない」と知っていた。フェルナンドは元プロテニス選手の妻ジセラ・ドゥルコから「怪我をしたままキャリアを終わらせることは絶対にできない」と言い聞かされ、彼もその考えに賛同していたからだ。

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