今は2億円超、80年代まではまともな報酬を払うのも難しく…。
日本代表監督に支払える金額は飛躍的に増加したとはいえ、財力維持のために興行面を優先しなければならないのは今も昔も同じ。その強化と興行のバランスを取りながら、ハリルホジッチ体制は成功を収めることができるか!? (C) SOCCER DIGEST
3月27日のチュニジア戦に向け、招集メンバーを発表した日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督。いよいよ新体制が本格的にスタートした。
クラブと代表チームの両方で指揮経験と実績を持つボスニア・ヘルツェゴビナ出身の指揮官の招聘は、日本代表が求める指揮官像に合った人事と思われるが、果たして実際にその指導、采配が日本サッカーにフィットするのか興味深い。
さて、待遇や契約期間などは公にはされていないものの、年俸については200万ドル(約2億7000万円)といわれている。世界トップレベルでの実績を持つ"名将"を連れてくるには、今の時代では決して高くない金額だろう。
過去を振り返ると、選手の年俸がまだ安く抑えられていた90年代前半ですら、1億円に近い金額が外国人監督には支払われている(それを考えるとオシム監督は何とリーズナブルだったことか!)。
対して、日本人監督は1億円には届いていないものの、実績等に照らし合わせれば妥当な額と言えるだろうし、また選手の年俸と比べてもそれなりに高額であり、自国の代表チームを率いる者としてのプライドを満たせる数字だったのではないだろうか。
ところで、下に記したのはJリーグ創設以降の監督の年俸である。つまり、日本サッカーがプロ化してからのもの。では、それ以前のアマチュア時代には代表監督というものはどのような待遇を受けていたのか?
当時の選手はといえば、企業に属する社員選手がほとんどであり、給料以外の報酬を受け取ることはできず、代表試合のための諸費用も自費で賄うことを強いられていたという。キリンカップ等の賞金が出る大会でも、選手にはせいぜい「栄養強化費」という名目でわずかな金額が支給される程度だった。
監督についても、企業の社員であることに変わりはなかった。Jリーグ以前に日本代表が最もワールドカップ本大会に近づいた1986年メキシコ大会予選時の監督である森孝慈氏は当時、三菱自動車に籍を置きながら、会社の厚意という形で社業を離れ、代表チームの指導を担っていた。つまり、その期間も三菱は給料を支払い続けていたということだ。
その森氏が突然、辞任を表明したのが86年3月。理由は「これまで5年間、日本代表を指導してきたが、そろそろ会社に戻って社業に専念したい」というものだった。
森氏は前年のW杯予選で韓国に敗れた際、日本サッカーのプロ化を訴え、代表監督についても"専任"を日本サッカー協会に求めたが、当時の協会にこれを実現するほどの財力はなく、プロサッカーについても時期尚早としてこれを却下。これに失望した森氏が、日本代表監督に見切りをつけたというのが、当時の大方の見方だった。
当時、日本代表のコーチ陣には日本体育協会からコーチング料として月額数十万円が支払われる程度で、サッカー協会としては代表監督に保障できるものを何も持ち合わせていなかった。「代表監督には、辞めた後も戻れる場所(企業)をしっかり確保した上で務めてほしい」という協会上層部の言葉は、温情によるもの以外の何物でもなかったのだ。
もっとも、森氏辞任を受けての理事会で、協会は石井義信氏(当時フジタ)の新監督就任のほか、当時、奥寺康彦がブレーメンから日本リーグの古河電工(ジェフ千葉・市原の前身)に復帰したこと受け、プロ選手(ライセンスプレーヤー)やアマチュア選手に対する報酬の規定を新たに設けるなど、わずかではあるが現場での待遇の改善に着手した。
アマチュアリズムとプロ化の間で揺れ動いた日本サッカー界だが、80年代後半にワールドカップ招致とプロリーグ創設が決まると、そこから凄まじい変化の時代に突入し、93年のJリーグ、2002年の日韓W杯というブームを経て、今では日本人にとってプロフェッショナルとしてのサッカーの存在は当たり前のものとなった。
ワールドカップ出場自体は目標ですらなくなり、本大会でどれだけの成績を挙げられるかだけが注目される現在、日本代表監督は非常に重要なファクターであり、4年ごとに世界の名将のなかから誰が日本にやってくるかは国民的関心事のひとつ、そしてその報酬も話題になっている。
今回、ハリルホジッチ監督は、監督就任にあたっての条件について「決して素晴らしいものではなかった」と語っているが、80年代までの監督選びには「(その監督候補者の)在籍する企業の協力が得られること」という条件が含まれていたことを考えれば、まさに隔世の感がある。
◎歴代日本代表監督の推定年俸
ヴァイッド・ハリルホジッチ 約2億7000万円
ハビエル・アギーレ 約2億円
アルベルト・ザッケローニ 約2億5000万円
岡田武史(2007-10) 約8000万円
イビチャ・オシム 約9000万円
ジーコ 約2億2000万円
フィリップ・トルシエ 約9000万円
岡田武史(1997-98) 約5000万円
加茂周 約7000万円
パウロ・ロベルト・ファルカン 約1億2000万円
ハンス・オフト 約7000万円
※Jリーグ創設以降の監督を記載
クラブと代表チームの両方で指揮経験と実績を持つボスニア・ヘルツェゴビナ出身の指揮官の招聘は、日本代表が求める指揮官像に合った人事と思われるが、果たして実際にその指導、采配が日本サッカーにフィットするのか興味深い。
さて、待遇や契約期間などは公にはされていないものの、年俸については200万ドル(約2億7000万円)といわれている。世界トップレベルでの実績を持つ"名将"を連れてくるには、今の時代では決して高くない金額だろう。
過去を振り返ると、選手の年俸がまだ安く抑えられていた90年代前半ですら、1億円に近い金額が外国人監督には支払われている(それを考えるとオシム監督は何とリーズナブルだったことか!)。
対して、日本人監督は1億円には届いていないものの、実績等に照らし合わせれば妥当な額と言えるだろうし、また選手の年俸と比べてもそれなりに高額であり、自国の代表チームを率いる者としてのプライドを満たせる数字だったのではないだろうか。
ところで、下に記したのはJリーグ創設以降の監督の年俸である。つまり、日本サッカーがプロ化してからのもの。では、それ以前のアマチュア時代には代表監督というものはどのような待遇を受けていたのか?
当時の選手はといえば、企業に属する社員選手がほとんどであり、給料以外の報酬を受け取ることはできず、代表試合のための諸費用も自費で賄うことを強いられていたという。キリンカップ等の賞金が出る大会でも、選手にはせいぜい「栄養強化費」という名目でわずかな金額が支給される程度だった。
監督についても、企業の社員であることに変わりはなかった。Jリーグ以前に日本代表が最もワールドカップ本大会に近づいた1986年メキシコ大会予選時の監督である森孝慈氏は当時、三菱自動車に籍を置きながら、会社の厚意という形で社業を離れ、代表チームの指導を担っていた。つまり、その期間も三菱は給料を支払い続けていたということだ。
その森氏が突然、辞任を表明したのが86年3月。理由は「これまで5年間、日本代表を指導してきたが、そろそろ会社に戻って社業に専念したい」というものだった。
森氏は前年のW杯予選で韓国に敗れた際、日本サッカーのプロ化を訴え、代表監督についても"専任"を日本サッカー協会に求めたが、当時の協会にこれを実現するほどの財力はなく、プロサッカーについても時期尚早としてこれを却下。これに失望した森氏が、日本代表監督に見切りをつけたというのが、当時の大方の見方だった。
当時、日本代表のコーチ陣には日本体育協会からコーチング料として月額数十万円が支払われる程度で、サッカー協会としては代表監督に保障できるものを何も持ち合わせていなかった。「代表監督には、辞めた後も戻れる場所(企業)をしっかり確保した上で務めてほしい」という協会上層部の言葉は、温情によるもの以外の何物でもなかったのだ。
もっとも、森氏辞任を受けての理事会で、協会は石井義信氏(当時フジタ)の新監督就任のほか、当時、奥寺康彦がブレーメンから日本リーグの古河電工(ジェフ千葉・市原の前身)に復帰したこと受け、プロ選手(ライセンスプレーヤー)やアマチュア選手に対する報酬の規定を新たに設けるなど、わずかではあるが現場での待遇の改善に着手した。
アマチュアリズムとプロ化の間で揺れ動いた日本サッカー界だが、80年代後半にワールドカップ招致とプロリーグ創設が決まると、そこから凄まじい変化の時代に突入し、93年のJリーグ、2002年の日韓W杯というブームを経て、今では日本人にとってプロフェッショナルとしてのサッカーの存在は当たり前のものとなった。
ワールドカップ出場自体は目標ですらなくなり、本大会でどれだけの成績を挙げられるかだけが注目される現在、日本代表監督は非常に重要なファクターであり、4年ごとに世界の名将のなかから誰が日本にやってくるかは国民的関心事のひとつ、そしてその報酬も話題になっている。
今回、ハリルホジッチ監督は、監督就任にあたっての条件について「決して素晴らしいものではなかった」と語っているが、80年代までの監督選びには「(その監督候補者の)在籍する企業の協力が得られること」という条件が含まれていたことを考えれば、まさに隔世の感がある。
◎歴代日本代表監督の推定年俸
ヴァイッド・ハリルホジッチ 約2億7000万円
ハビエル・アギーレ 約2億円
アルベルト・ザッケローニ 約2億5000万円
岡田武史(2007-10) 約8000万円
イビチャ・オシム 約9000万円
ジーコ 約2億2000万円
フィリップ・トルシエ 約9000万円
岡田武史(1997-98) 約5000万円
加茂周 約7000万円
パウロ・ロベルト・ファルカン 約1億2000万円
ハンス・オフト 約7000万円
※Jリーグ創設以降の監督を記載