“伝説のゴール”を回想
マラドーナが決めたサッカー史に残るゴールをヴェンゲルは辛辣に批判した。 (C) Getty Images
後世に語り継がれる"伝説のゴール"が誕生したのは、1986年6月22日、メキシコ・ワールドカップの準々決勝、イングランド対アルゼンチンの一戦だ。
決めたのは、当時26歳だったディエゴ・マラドーナだ。80年代初頭に両国間で勃発したフォークランド(マルビナス)紛争の影響から、「リベンジを考えていた」というアルゼンチン代表の10番が、サッカーの母国を怒らせ、アルゼンチンの国民を沸き返らせたのは、スコアレスで迎えた51分である。
敵ゴールへ向かってドリブルを仕掛けたマラドーナは、前線のホルヘ・ヴァルダーノへパス。しかし、それをイングランドDFが懸命に足を伸ばして、GKピーター・シルトンに浮き球のバックパスを送った瞬間だった。リターンパスを狙ってゴール前に突進したマラドーナが、迷うことなくジャンプ。わずかに反応が遅れたシルトンの目の前でボールを捉えて、ゴールに流し込んだのだ。
本人いわく「神の手」で決めたゴールは、後にヘディングではないことが判明し、世界的な物議を醸すことになったのは、もはや周知の通りだ。
そんな天才の歴史的(?)なゴールには、今でも不満を漏らす人間も少なくない。元アーセナルの指揮官であるアーセン・ヴェンゲルもその一人だ。
決めたのは、当時26歳だったディエゴ・マラドーナだ。80年代初頭に両国間で勃発したフォークランド(マルビナス)紛争の影響から、「リベンジを考えていた」というアルゼンチン代表の10番が、サッカーの母国を怒らせ、アルゼンチンの国民を沸き返らせたのは、スコアレスで迎えた51分である。
敵ゴールへ向かってドリブルを仕掛けたマラドーナは、前線のホルヘ・ヴァルダーノへパス。しかし、それをイングランドDFが懸命に足を伸ばして、GKピーター・シルトンに浮き球のバックパスを送った瞬間だった。リターンパスを狙ってゴール前に突進したマラドーナが、迷うことなくジャンプ。わずかに反応が遅れたシルトンの目の前でボールを捉えて、ゴールに流し込んだのだ。
本人いわく「神の手」で決めたゴールは、後にヘディングではないことが判明し、世界的な物議を醸すことになったのは、もはや周知の通りだ。
そんな天才の歴史的(?)なゴールには、今でも不満を漏らす人間も少なくない。元アーセナルの指揮官であるアーセン・ヴェンゲルもその一人だ。
22年に渡って指揮したアーセナルで黄金期を築いた名伯楽は、母国専門誌『SO FOOT』のインタビューで、「私はVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)に大きく賛同している。なぜなら不可解なゴールに悩まされてきたからだ」と最先端のレフェリングシステムの発展を主張したうえで、「マラドーナのゴールはありえないものだった」と"神の手ゴール"について次のように語った。
「私からすれば、マラドーナの決めた"神の手"ではなく"悪魔の手"でしかない。もしも、あの時代からVARがあれば、あのゴールは認められなかった」
伝説的な一撃をバッサリと否定したヴェンゲルは、さらにこうも続けている。
「人々はなぜかアンフェアなジャッジにより生まれたあのゴールをもてはやし、子どもたちに悪影響なのに間違いを正そうとしない。私は何度も不公平なジャッジに苦しんできた。試合に負けだけでも十分に辛いのに、誤審のせいで負けるとなれば最悪だ。審判のミスの回数は減らす必要があるんだ」
プレミアリーグ史に残る名将として、サッカー界の酸いも甘いも嚙み分けてきたヴェンゲルだが、マラドーナのあの一撃だけは許しがたいようだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
「私からすれば、マラドーナの決めた"神の手"ではなく"悪魔の手"でしかない。もしも、あの時代からVARがあれば、あのゴールは認められなかった」
伝説的な一撃をバッサリと否定したヴェンゲルは、さらにこうも続けている。
「人々はなぜかアンフェアなジャッジにより生まれたあのゴールをもてはやし、子どもたちに悪影響なのに間違いを正そうとしない。私は何度も不公平なジャッジに苦しんできた。試合に負けだけでも十分に辛いのに、誤審のせいで負けるとなれば最悪だ。審判のミスの回数は減らす必要があるんだ」
プレミアリーグ史に残る名将として、サッカー界の酸いも甘いも嚙み分けてきたヴェンゲルだが、マラドーナのあの一撃だけは許しがたいようだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部