「マラドーナとかラモンディアスと…」エスクデロ競飛王が叔父のU-20アルゼンチン代表時代の貴重ショットを公開!

2020年09月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

「サッカーの素晴らしいところ」

競飛王が公開した叔父の貴重なU-20アルゼンチン代表時代の集合写真が話題を呼んでいる。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 J2栃木SCに所属するFWエスクデロ競飛王が、9月8日に自身のツイッターを更新。1979年にU-20アルゼンチン代表として日本の国立競技場のピッチに立った自身の叔父の貴重写真を公開し、反響を呼んでいる。

 スペイン出身の競飛王(セルヒオ)は、父親であるセルヒオ・エスクデロが当時浦和レッズでプレーし下部組織の育成にも携わったことから、幼少期を日本で過ごした。その後一度アルゼンチンへ帰国したものの、2000年に再来日。浦和のアカデミーで育ち、2005年にトップチームに登録。その後は、韓国や中国のクラブを渡り歩き、2016年からは京都サンガF.C.でプレー。今シーズンからは栃木に在籍し、ここまでリーグ戦11試合に出場している。

 そんな競飛王は「サッカーの素晴らしいところ」と題し、8日に自身のツイッターを更新。1979年ワールドユース選手権・決勝での、U-20アルゼンチン代表の集合写真を公開し、父親の兄にあたる叔父、オスバルド・エスクデロがマラドーナとともに国立競技場でプレーしていたことを誇らしげに明かしている。

「1979年マラドーナを率いるU20アルゼンチン代表が国立で優勝しました。下の列の左側から1番目がエスクデロ・ピチ・オスバルド、僕のおじさんです。僕のJ初ゴールも2008年、それも国立でした。お父さんも1993年浦和レッズで活躍しました」
 
 79年のワールドユースでアルゼンチンは、52000人の観客が訪れた国立競技場での決勝において、ソビエト連邦を相手に3-1で勝利し、初優勝を飾った。投稿のコメント欄には、「ソ連との決勝、国立で観戦していました」「歴史や思いは受け継がれていくのですね」「おじさんがマラドーナとかラモンディアスとかといるって凄いですね!」など、当時を知るファンの懐かしむコメントや、驚きの声が多く寄せられている。

 競飛王は京都時代、左膝の大怪我などに苦しみ、徐々に出場機会を失っていった。今シーズンは新天地で9番を背負い、叔父から3世代に渡り受け継がれた思いを胸に、再起を図る。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【写真】エスクデロ競飛王の叔父の"貴重ショット"!マラドーナ&ラモンディアスとともにプレー!

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