最後までピッチを駆け抜けた内田篤人が語る思い出の一戦。「スタジアムが揺れた」海外でのゲーム。Jリーグでは…

2020年08月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

「この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだな」

思い出の試合を語った内田篤人。写真:滝川敏之

 8月23日のJ1リーグ第12節・ガンバ大阪戦で、現役最後の試合を戦い切った内田篤人は、翌日オンライン上で引退会見を行なった。

 J1リーグ通算148試合目の出場を果たした内田は、クラブ、代表を通じて生涯446試合の公式戦に出場した。そのなかでも一番心に残ったというのがシャルケに移籍した初年度の欧州チャンピオンズ・リーグ(CL)決勝トーナメント1回戦の試合だという。

「いろんなところで話していますけど、一番心に残る試合は、CLのバレンシア戦です。3点目のカウンターの場面で、チームメイトが走り出したのを後ろから見た時、スタジアム全体が揺れていたというか、この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだなと思えるほど、印象的なシーンでした」

 アウェーの初戦を1-1で折り返し迎えた2011年3月9日のホームでの第2戦。ウナイ・エメリ率いるバレンシアに先制される展開だったが、2得点を奪い逆転に成功。しかし、同点とされるとアウェーゴールの差で敗退が決まるというトーナメントならではの緊迫した試合となり、後半アディショナルタイムに入って件の歓喜の瞬間を迎えるのだった。

 海外初挑戦ながらレギュラーポジションを確保した内田は、CLでクラブ初の4強進出に大きく貢献。日本人選手として初めてのCL準決勝の舞台に上がる忘れられない年となった。
 
 さらにJリーグでの思い出の一戦を聞かれると、「(2009年にJ1リーグを)3連覇した時のアウェーの浦和レッズ戦。興梠さんにクロスを上げた時ですかね」と優勝を決めた最終節の浦和戦を思い返す。

「思い出せばもっとあると思うのですが、あの時の11人であったり、在籍していた選手っていうのはなんだろう、Jリーグ史上最強なんじゃないかなと個人的には思っています。年代が違うと比べることはできないんですけど、選手の経験、年齢、タイミングとかがバッチリ合って、充実したチームだったんじゃないでしょうか」

 チーム内で当時を知る選手は内田のほかに遠藤康と曽ケ端準の2人だけ。在籍23年目の最古参の守護神よりも先に引退することになった。

「前もって何人かには伝えておかなければいけないんじゃないかなと思っていたひとりがソガさんだったんです。伝えた時には『まだやれるだろ』と一番しつこく言ってきたのがソガさんですね。あの人が長くやっているんで反論はできなかったんですけど、『早いな』とか『もったいないな』とか、一番寂しそうだったのもソガさんでした。あの人はまだあと10年くらいやるんじゃないですか? 契約残ってますよね、あと10年くらい(笑)。

(中田)浩二さんが辞め、黄金世代がどんどんといなくなり、(小笠原)満男さんも辞め、最後鹿島の象徴的な選手として、曽ケ端さんが残ってくれてますし、練習でも試合に出ている若い選手よりも、後ろにいてくれる安心感だったり、存在感というのは感じます」
 冗談を交えながらも、内田の言葉の端々には長年培われた信頼が窺えた。

 高卒ルーキーで初めて開幕戦スタメンを勝ち取るなど、クラブとともに歩んできた内田は、「これから僕はひとりのファンとしてユニホームを買って応援したいと思います」とカシマ愛に満ち溢れていた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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