「長友さんもやってるけど…ユーチューバーにはならない(笑)」内田篤人が考える今後の進路と地元静岡への想い

2020年08月24日 サッカーダイジェストWeb編集部

「サッカーを辞めただけなので、そんな大騒ぎしないで欲しい」

ラストマッチでは試合終了の瞬間までピッチでプレーした内田。写真:滝川敏之

 昨日のJ1リーグ12節、ガンバ大阪戦をもって現役を引退した鹿島アントラーズの内田篤人は、ラストマッチから一夜明け、オンライン上で引退会見を行なった。

「昨日スタジアムで話したことがほとんどなので、僕から何とかということはほとんどありません」と語りながらも、多くの質問に一つひとつ丁寧に答えていった。

 強化部へ引退の話をしに行ったのはルヴァンカップ・グループステージ第3節の清水エスパルス戦の後だったという。奇しくも静岡県出身、清水東高を出て鹿島に加入した内田にとって、地元での凱旋試合を行なった後のことだった。

「日本平でプレーするときはいつも裏切り者と言われましたが、僕が引退を決めたというか…最後は日本平で自分の地元でやれたので、なにか縁があるのかなと思います。サッカー王国と言われている地域ではありますけど、いろんな先輩方の影響を受けながら、自分もサッカーをしてこれた幸せというのはすごく多く感じています。ただ、サッカーを辞めただけなので、そんな大騒ぎしないでほしいなという気持ちもあります」

 日本を代表する右サイドバック(SB)が誕生したのもその高校時代だった。

「高校時代なので、SBにコンバートされたというか、ホワイトボードのマーカーがSBの位置になっていて、点が取れないから僕はこれからこの位置でプレーするんだなと最初はそんな印象でした。やっているうちに面白いポジションで、誰でもできるけど、案外難しくて。僕には合っていたのかなと思います。外から見る感じだったり、少ない選択肢のなかでゴールに繋げる、チョイスしていくというのが自分には合っていたのかなと思います」とSBへの愛着を語る。

「先生に関しては、きっとプロサッカー選手になる前にも大事な人に巡り合うことがあるんだと思うんですけど、僕はそれが梅田先生(当時の清水東高・梅田和男監督)で、家も遠かったんで、毎朝始発で通っていました。本当に理不尽な練習ばかりでしたけど、例えばコーナーフラッグからコーナーフラッグまでスプリントしてクロスを上げるみたいな。今じゃもうできませんけど。そういう"ザ・高校サッカー"みたいな練習が僕には合っていたんだなと思います」と当時を懐かしんだ。
 
 引退を決断することになったヒザの怪我については、「ある程度感情を入れずに、リハビリをしていた時もありましたけど、応援してくれた皆さんもいますし、ただ単に仕事でもありますし、契約上まっとうしたいという気持ちが凄く強かったです」と懸命にリハビリに努め、壁を乗り越えて最後の試合出場まで漕ぎつけた。

「(ケガしていなかったらというのは)考えたことがない。ヒザと付き合ってサッカーを続けてきたし、無理をしたからここまで続けてこれたと思う。無理をしてこなかったらシャルケにも行けなかったと思いますし、鹿島でもこういう風に送り出してもらえなかったと思います。自分の限界だったなと思います」と振り返った。

 気になる今後については、「ユーチューバーにはならないですね。長友さんとかやってますけど、僕はならないですね。あとはいろんな選択肢があると思いますけど、まだ一つ二つに絞るの早いかなと思うので、いろんな選択ができるように、少しずつこう、仕事をチョイスするというか、どこにでも行けるような仕事を選んでいきたいかな。具体的にはまだ決まってないですけど、サッカーしかないというよりは、サッカー以外のことでやれて行く自信がないので、何かできればなと思っています」と明るく語った。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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