あのブラジル人J戦士はいま【第5回】サンパイオ――チッチ代表監督の右腕として「現役時代に果たせなかったW杯制覇の夢を」

2020年08月22日 沢田啓明

カズが初出場した試合でデビューを飾る

消滅した横浜フリューゲルスのほか、柏、広島でプレーしたサンパイオ。(C) J.LEAGUE

 きらびやかなテクニックこそないが、基本技術は確か。大柄ではないが頑強で、状況判断が素晴らしい。

 セザール・サンパイオは中盤の深い位置で強固な壁となり、ボールを奪うと攻撃の起点となった。のみならず、チャンスと見れば果敢に前へ飛び出し、決定機を作り出す。的確なポジショニングと傑出したジャンプ力で空中戦にも抜群の強さを発揮し、大舞台で貴重なゴールを決めた。

 チームが勝利を収めるためにこれほど役立つ選手は、なかなかいない。

 サンパウロ郊外で、貧しいながらも厳格に子供たちを躾ける家庭に育った。サンパウロFCの下部組織からサントスへ移り、1986年に18歳でトップチームへ昇格。この年の4月9日、サンパウロ州選手権の試合でデビューした。やはりこの試合で初出場したのが、1歳年上の三浦知良(現・横浜FC)だった。

 すぐにレギュラーとなり、4歳年上のドゥンガとダブルボランチを組んで中盤を支えた。1991年からは強豪パウメイラスでさらに成長し、ブラジル代表にも招集された。

 1995年、パウメイラスのチームメイトだったCFエバイール、MFジーニョと共に横浜フリューゲルスへ。中盤の守備の要となる一方で、得点にもからんだ。

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 1998年のフランス・ワールドカップでは、サントス時代と同じく中盤でドゥンガとコンビを組み、7試合中6試合に先発。3得点をあげる大活躍を演じたが、決勝で地元フランスの前に涙を飲んだ。

 W杯終了後、横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併されることが明らかになったが、MF山口素弘、GK楢崎正剛らと共に鬼気迫る闘志でプレー。天皇杯で強敵を次々に撃破し、頂点に立った。

 1999年、パウメイラスへ復帰し、デポルティボ(スペイン)、コリンチャンスを経て2002年から2004年8月まで柏レイソル、サンフレッチェ広島でプレー。この年の末、かつて下部組織に在籍したサンパウロFCを最後に現役を引退した。

 現役時代からクラブ経営に強い関心を持ち、1998年に元ブラジル代表MFリバウドとマネジメント会社を設立。クラブを創設し、その運営に携わった。

 ジャーナリストだった愛妻の勧めで大学に入り、スポーツ関連のマネジメントやマーケティングなどをみっちり学ぶ。2007年から11年間、国内各地の規模も歴史も異なるクラブの役員や強化部長を歴任した。
 

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