「能力に嫉妬した」「すごいオーラ」故・松田直樹さんから受けた衝撃…横浜が川口能活ら戦友たちが語る動画を公開

2020年08月05日 サッカーダイジェストWeb編集部

急逝から9年。横浜の元チームメイト6人が松田直樹さんを偲ぶ

横浜で16シーズンにわたり活躍した松田直樹さん。写真:滝川敏之

 横浜F・マリノスは8月4日、元日本代表DFの松田直樹さんを追悼するスペシャルムービーをクラブ公式YouTubeで公開した。9年前の2011年8月4日、松田さんは当時所属していたJFLの松本山雅FCの練習中に突然倒れ、急性心筋梗塞により34歳の若さでこの世を去った。

 前橋育英高を卒業後、1995年に横浜マリノス(当時)に加入。16シーズンにわたって横浜でプレーし、03、04年のリーグ連覇に貢献するなど一時代を築いた。代表でも早くから注目を集める存在で、93年のU-17世界選手権では中田英寿氏や財前宜之氏らととともに日本の8強入りに貢献。さらにアトランタ五輪ではブラジルを破るマイアミの奇跡でも当事者のひとりとして出場し、2002年の日韓ワールドカップでもフラットスリーの一角として日本の16強進出にも大きく貢献した。

 10年に横浜を退団し、11年には松本に加入。しかし、同年8月2日の練習中に倒れ救急搬送されると、同4日に帰らぬ人となった。

 横浜が今回公開した動画では、世代の異なる6人の元チームメイトが登場。川口能活氏、波戸康広氏、那須大亮氏、坂田大輔氏、栗原勇蔵氏、現役では横浜の水沼宏太が、松田さんとの出会いや思い出について語っている。

 川口氏は「マツは8割くらいの力でもトップレベルの選手の相手ができる。本当に素晴らしい能力を兼ね備えていて、彼の能力に嫉妬していた時もありました」と、ポジションを超えてサッカー選手としてリスペクトしていたことを告白。また、「最初の頃はよくケンカをしていた。後に強い信頼関係を築くことができて、マツの存在なくして自分の存在はあり得なかったと感じています」と当時を振り返った。

 同世代の波戸氏は「初めて会ったのは高校選抜の合宿の時。その時から個性豊か。よく覚えています」と出会いについて語ると、那須氏も入団当初の思い出として、「腐りかけていた自分をマツさんがしゃべりかけてくれて、その言葉で救われたことが一番最初のエピソードです」などと明かしている。

 また坂田氏は「とにかく憧れの存在で話しかけることも最初はできなかった。本当にサッカーもうまいし、完璧な人だと思っていました」と雲の上のような存在だったと告白。同じセンターバックの後輩でユース出身の栗原氏は「トップに上がって初めて挨拶に行った時はすごいオーラを感じました」と偉大な先輩が纏う雰囲気について語っている。

 最年少となる水沼は「初めて会ったのは僕が3歳ぐらいの時。まだ父(解説者の水沼貴史氏)が現役だったので、マツさんが家に来たことがあると思います」と幼少時の記憶を語り、「僕が高校生になって初めてトップの練習に参加した時に優しく話しかけてもらってすごく安心した記憶があります」と、松田さんの人柄を思い出していた。

 動画では、こうした松田さんとの出会いのほか、それぞれが持つマリノス時代の思い出や、存命なら現在43歳となっている松田さんへの想い、さらにはいま松田さんに伝えたいことを6人がそれぞれの立場から語っている。18分にわたる動画は、じつに興味深い内容だ。

 横浜はまた、松田さんへの想いをつなぐため、公式ツイッターでデジタル記帳を企画。想いをのせた静止画を「#FOREVER3」ハッシュタグとともにアップしてもらい、これらの思い出の品を使って写真モザイクアートを制作する。8月8日の柏レイソル戦において、スタジアムの大型ビジョンで掲出するという。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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