あのブラジル人J戦士はいま【第2回】ワシントン――ビジネスマン、政治家を経て再びフットボールの世界へ

2020年07月18日 沢田啓明

医師から「現役続行は不可能」と宣告され…

浦和では06年のリーグ初優勝に貢献したワシントン。(C)SOCCER DIGEST

 Jリーグ史上屈指の万能型ストライカーだった。

 85試合に出場して、64得点。1試合当たりの得点率0.753は、これまでJリーグで50試合以上出場した全選手の中で最高だ。

 長身にして屈強。高さと強さだけでも、相手守備陣を圧倒できるが、機を見てスペースへ走り込む判断力、マーカーを振り切る逞しさと狡猾さ、GKのタイミングを外して絶対に取れないところへシュートを捻じ込む繊細なテクニックもある。空中戦の強さも群を抜いていた。

 ただし、エゴイストではなかった。大きな身体をうまく使って、ボールをキープするポストプレーが秀逸。サイドへ流れてクロスを入れる労も厭わない。常にチームの勝利のためにプレーした。

 ワシントンは1993年、17歳で南部の小クラブからデビューした。2001年、サンパウロ郊外の中堅クラブ、ポンチプレッタで大ブレイクし、サンパウロ州選手権とコパ・ド・ブラジルでダブル得点王。ブラジル代表にも招集された。

 ところが、フェネルバフチェ(トルコ)在籍中の2002年、心臓に重大な疾患が発見されて手術を受ける。医師から「現役続行は不可能」と宣告され、打ちひしがれて帰国した。

 それでもフットボールを諦められず、再手術を受けて奇跡的に完治。2004年、アトレチコ・パラナネンセで再起し、ブラジル・リーグで34得点の新記録を樹立して得点王に輝く。ゴールの度に右手で心臓を叩くポーズから、「コラソン・ヴァレンチ」(雄々しい心臓を持つ男)と呼ばれた。
 
 2005年、東京ヴェルディへ移って22得点。翌年、浦和レッズへ移籍すると、ロブソン・ポンテや小野伸二(現FC琉球)らと競演し、26ゴールをあげて得点王に輝く活躍を見せ、Jリーグ初制覇に大きく貢献した。

 2007年は、Jリーグで16得点。クラブ・ワールドカップでは3点を決めて得点王となり、浦和を3位に押し上げた。

 2008年、母国へ戻って名門フルミネンセに加わると、ブラジル・リーグで21得点を挙げてトップスコアラーに輝いた。

 そして2011年初め、18年間に及んだ現役を引退。ブラジル南部で住宅を建設、販売する会社を経営していたが、地元の有力者に請われて政界入り。市会議員選挙に当選して2013年から市会議員を務めるかたわら、ブラジル・サッカー連盟(CBF)の指導者コースを履修してプロ用ライセンスを取得。2017年末から2018年前半にかけて、ブラジル北東部の小クラブを率いた。

 その後、下院議員選挙に出馬して落選したが、後に繰り上げ当選して短期間ながら下院議員を務めた。さらに、ブラジル政府のスポーツ長官に任命されてスポーツ振興に尽くし、昨年末にはCBFの育成部門の責任者に就任したが、今年2月に退任した。
 

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