「ウォッカが親友になっていた」名手スナイデル、マドリー時代の“荒れた生活”を衝撃告白!

2020年06月26日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

「自分の姿勢はマドリーにふさわしくなかった」

鳴り物入りでマドリーに加入したものの、スナイデルは2シーズンでインテルへと移籍した。(C) Getty Images

 メガクラブで活躍するには、重圧に耐えられるだけでなく、自分を律することができる厳しさも必要となる。様々な理由からそれが難しくなれば、早々に出口へと向かうことになってもおかしくない。

 元オランダ代表MFのヴェスレイ・スナイデルが、自伝の中でレアル・マドリー時代を回想した。酒におぼれ、"白い巨人"の一員らしく振る舞うことができなかったと振り返っている。

 2007年に母国の名門アヤックスからマドリーに加入したスナイデルは、1シーズン目に優勝を経験。だが、2年目は思うような活躍ができず、2009年夏の移籍市場終盤にインテルへ放出された。

 イタリア紙『TuttoSport』によると、スナイデルは「若く、成功して注目されるのが好きだった。でも、何かがうまくいかなくなったんだ。ドラッグじゃない。アルコールとロックンロール(な生活)だ」と明かした。

「マドリーの選手として熱狂されるんだ。でも、長くもったとは言えない。わりとうまくプレーしたけど、もっとうまくやれたはずと言われたよ」
 
 当時、離婚など私生活の問題も抱えていた名手は「孤独だった。息子にも本当に少ししか会えなかった。時間を過ごす友人たちがたくさんいるのに、孤独なままなのはなぜなのか。ウォッカが親友になっていたことに気づいていなかった」と続けている。

「フィジカル面でも気づけなかった。翌朝は何もなかったかのように目が覚めていた。プレーを続けた。でも、以前ほど良くなく、明らかに集中できていなかった。自分の姿勢はマドリーにふさわしくなかった。大丈夫だと自分にウソをついて、サッカーIQに頼っていた。肉体的に沈んでしまったんだよ。歩く量も減り、それを隠していた。だれも気付かないとも持っていたんだ」

 そのような生活をしていれば、2年でマドリーを離れたのも不思議ではないだろう。ただ、スナイデルはインテル加入直後のミラノ・ダービーで活躍。ジョゼ・モウリーニョの下でインテルの3冠達成の原動力となり、夏のワールドカップではオランダの準優勝に貢献している。

構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部
 
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事