ブンデスリーガでさえも低下していた「ファンの存在意義」。“無観客”で明らかになったのは…【欧州発】

2020年05月21日 エル・パイス紙

ホッフェンハイムのオーナーへの批判は強烈なアレルギー反応

ドイツ屈指の熱狂度を誇るレビア・ダービーも無観客では味気なさが否めず……。(C) Getty Images

 ブンデスリーガが9週間に及んだ中断期間を経て再開された。フットボール界にとってリスタートの号砲となる重要な出来事だが、クローズアップされたのは、無観客開催に伴うガラガラのスタジアムだ。ファンの姿がないフットボールは訴求力が著しく低下する。選手たちがどこか寂しそうに見えたのは、どんなプレーを見せても無反応だったスタジアムと決して無関係ではない。

 フットボールはエモーショナルなスポーツだ。その中でスタジアムを埋め尽くし、一体感を醸成してチームを支えるファンが果たしている役割は極めて大きく、ましてやブンデスリーガは他国のリーグに比べても応援の熱量が高いことで知られている。

 平均観客動員数も欧州の主要リーグでトップの数字を誇るが、その一方で世界的にはプレミアリーグやラ・リーガほどの知名度や人気はない。商業主義化に舵を切るスピードもそこまで急ではなく、それが逆にローカル色が強いブンデスリーガの特徴を形成してきた。

 そんなブンデスリーガの運営スタンスを示しているのが1998年に適用され、今なお多くのクラブで存続している「50+1」だ。ブンデスリーガ独自のローカルルールで、企業家や大富豪がクラブの経営に参画する動きにブレーキをかけるとともに、運営上の意思決定においてファンの発言権を維持する機能を果たしてきた。チケットのお手頃な価格設定にしても、サポーターの目線に立った経営方針を貫いているが故である。
 
 遥か昔の出来事のようにも感じるが、リーグ戦が中断する前、ソフトウェア会社「SAP」と製薬会社「キュアバック」の会長で、ホッフェンハイムのオーナーであるディートマー・ホップへの批判がドイツ各地で巻き起こったのも、自分たちのテリトリーを侵しかねない権力者や資産家への人々の強烈なアレルギー反応が背景にあった。

 ホップのような人間はファンのことを単なる消費者としか見ていない。フットボールとエモーションが切っても切れない関係にあり、スタジアムの一体感を維持するために欠かせない存在であることは認識しているが、同時にそれ以上の役割を演ずることを望んではいない。

 昔ながらの価値観を大切にするブンデスリーガですら、こうした動きがあるのだ。経営陣の視線が年々スタジアムに足を運ぶ身近な観客からテレビやネット中継で観戦するリモートな視聴者へと移行しているフットボール界のトレンドが後戻りするのは、もはや難しいだろう。

 ファンサービスといっても上辺だけに過ぎず、そのくせ利用できることは利用する。音響、色彩効果を高めるための付録のような存在と化しているが、姿がなくなると必要性が高まる。今回のブンデスリーガの再開が映し出したのは、発言権が低下する一方で、試合のデコレーションアップという意味合いでは決して軽視できないファンが置かれている微妙な2つの異なる立ち位置だ。

文●サンティアゴ・セグロラ(エル・パイス紙)
翻訳●下村正幸

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙の記事を翻訳配信しています。
 
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事