【番記者コラム】J1からJ3までを経験した大分。起伏に富んだ道のりだからこそ愛されるクラブに

2020年05月09日 柚野真也

様々な経験をしたからこそ、「クラブとしてタフになった」(西山GM)

西山GM(左から4人目)は、選手として08年のナビスコカップ優勝にも貢献。全11試合中8試合に出場した。(C)J LEAGUE PHOTOS

 大分トリニータが誇れるもの――。それはチームが発足した1994年4月から積み上げた様々な歴史だ。

 昨季、J1で9位とまずまずの成績を残した大分は、県社会人リーグで戦いを始め、99年からJ2に参戦。2002年に悲願のJ1昇格を果たすも、その後は浮き沈みが激しく、15年にはJ3降格も味わった。J1、J2、J3を経験した唯一のクラブで、その起伏に富んだ道のりが、豊さだと今では胸を張れる。

 歴史を紐解くと「J1昇格」、「万年J1残留争い」、「ナビスコカップ優勝」、「経営危機」、「J2&J3降格」、「J3からの2段階昇格」など、いくつものキーワードが浮かぶ。これらの栄光、苦労、挫折を経験したからこそ、「クラブとしてタフになったし、チーム一丸となって戦うスタイルが築けた」とOBで今季からGMに就いた西山哲平は語る。
 
 02年に大分に加入したサイドアタッカーの西山は、鋭いドリブルと豪快なミドルシュートを武器にJ1昇格に貢献。翌年には右足脛腓骨骨折の大怪我を負うが、不死鳥の如く復活し、その後は中盤のユーティリティとなり、いぶし銀の活躍を見せた。J2時代から在籍し、08年にはクラブ初となるナビスコカップのタイトル獲得にも貢献した選手だ。

 09年シーズン限りで契約満了となり、他チームで現役続行の選択肢もあったが、「他のチームのユニホームを着るイメージができなかった。J1昇格、ナビスコカップ優勝と最高の経験をさせてもらったチームに恩返しがしたい」とクラブから受けた強化部就任の要請を承諾。セカンドキャリアとしてスカウトの道へ進んだ。

 ただ、当時は経営状況が厳しく、スカウトに加えてチーム編成や選手査定も行なった。「一緒に戦っていたメンバーを評価するのは心苦しかった。勝負の世界だからと割り切ってはいたが……」と苦悩を述懐する。

 それでも、資金に乏しいクラブで強化全般の仕事を務め、スカウト力は急激に磨かれた。特に身に付いたのは助っ人や日本代表などの肩書きに頼らず、下のカテゴリーで実績を残した野心のある選手や、将来有望な若手を発掘することだ。
 

次ページOBがスタッフとしてクラブに戻るサイクルが訪れ…

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