“元祖ワンダーボーイ”がマドリー移籍を回顧。「人生最悪のひとつだった」と思いつめた理由とは?

2020年05月06日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

「考えると、夜も眠れなかったくらいだ」

当時の移籍の決断と入団までの心境を語ったオーウェン。 (C)Getty Images

 元イングランド代表のマイケル・オーウェンは、2004年の夏にリバプールからレアル・マドリーに移籍した。だが、憧れの「銀河系軍団」からの誘いを知った時、チームメートだったジェイミー・キャラガーからは反対されたそうだ。

 オーウェンは英メディア『talkSPORT』で、「アメリカでキャラガーと同室だった。プレシーズンツアー中だ。ラファエル・ベニテスが監督になった時だね。代理人から『マドリーが君を買いたがっている』と電話があった。切ってから、キャラガーに『やめろ』と言われたのを覚えている」と述べた。

「私は『どうしてさ』と言った。すると彼は試合に出られないだろ、と言ってきたんだ。それが、実際のところ、私をマドリーとの契約にサインさせた。彼が間違えていると証明しようと思ったんだ」

 そして、「自分はリバプールで生まれたようなもので、そこで出世した。家族や友人から離れることはできないと思った日もある」としつつ、「マドリーが自分に関心を寄せてくれたことにどうして文句を言える?」と話している。

「(移籍しなければ)60年もずっと、行っていたらどうなっていたかと考えることになってしまう。世界で最悪の、だが同時に素敵な問題だったんだよ」

 しかし、スペイン挑戦を決めたものの、お披露目の直前は「正直、人生最悪のひとつだった」と振り返っている。お披露目で何をすべきか、頭を悩ませたそうだ。

「加入が発表されてすぐにボールをつかみ、トリッキーなことをするバルセロナやマドリーの選手たちをうらやましく見ていた。『自分にトリッキーなことはできない!』と思ったよ。ボールをもらったら、ゴールに叩き込むだけだとね。それがパニックの原因だった。何をするか考えると、夜も眠れなかったくらいだ」

 結局、オーウェンは「できるだけ強くボレーしようと考えた」と続けている。

「ボールが転がってきて、それを拾い、カメラに向かって笑ってからボレーした。彼らはもうひとつボールを放ってきたから、それもボレーで返したよ!ありがたいことに、それで終わらせられた」

 そんなオーウェンは、期待された活躍が出来ずにわずか1年でマドリードを去り、ニューカッスルへと移籍していった。

構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部
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