【ザーゴ/この一枚】感情剥き出しの闘将、今は思慮深い指揮官に

2020年05月05日 徳原隆元

セレソンでも腕章を巻いてプレー

笑顔を見せるパルメイラス時代のザーゴ(下)とエジウソン(上)。ふたりはのちにJリーグでプレーすることに。写真:徳原隆元

 20年ほどの時を経て、かつて撮影した"選手"に向けて再びシャッターを切る機会を得た。その人物はアントニオ・カルロス・ザーゴ。今シーズン、鹿島アントラーズの監督に就任したブラジル人だ。

 取材ノートを紐解いてみると、現役時代のザーゴをブラジルで撮影したのは20回を数えた。フィルムの中に刻み込まれた彼は、守備の中心選手としてパルメイラス時代では主将を務め、ときにブラジル代表でもキャプテンマークを巻いてプレーしていた。

 彼を最初に撮影したのは1993年4月11日に行なわれたパルメイラス対ポルトゲーザ戦。会場となった州営パカエンブーは、ピッチの外周を囲む金網のすぐ向こう側でサポーターが立ち見で観戦している、試合展開によっては物騒なことになりそうなスタジアムだった。

 ピッチを隔てる金網からスタンドまでの幅数メートルのスペースに、サポーターが陣取っていていいのかは不明であったが、とにかく当時のブラジルのスタジアムはそうしたフレキシブルなところがあった。

 写真は72分、エジウソンがゴールを決め、喜びのあまり金網によじ登って、パルメレンセ(パルメイラスサポーター)にアピールしたところをザーゴが肩車した場面だ。笑顔のふたりは、のちに日本でプレーすることになる。

 ただ、ブラジル時代のザーゴに関しては、写真のような笑顔だけでなく、激しい感情と闘志を前面に出して相手FWと対峙する姿も記憶に残っている。

 94年5月1日、モルンビーでのサンパウロFC対パルメイラスの一戦は、彼が"闘う選手"であることを実感した試合だ。この日はイタリアのイモラで、ブラジル人F1ドライバーのアイルトン・セナがサーキットで散った悲劇の1日でもあった。
 
 試合は、ハーフタイムにオーロラビジョンで告げられた国民的ヒーローの死に対する悲しみと、両サポーターが作り出す強烈なライバル心から生み出される危ういまでの熱狂が相まって、異様な雰囲気で進んでいった。

 試合を支配したのはサンパウロFC。スコアは2-1と僅差ながらリードを得たサンパウロFCがパルメイラスを圧倒し、後半の半ばには張り合いのないライバルを挑発するようにボール回しを始める。パスが繋がるたびに、スタンドのサンパウリーノ(サンパウロFCサポーター)からは「オーレ、オーレ」の大合唱が起こり、ボランチのバウベルはラボーナで味方に繋げる余裕のプレーを見せつけた。

 劣勢に立たされたパルメイラスの選手たちは、次第に苛立ちを深めていく。ピッチの各所で小競り合いが起こり、選手同士が激しく詰め寄るシーンが何度も起こった。荒れた試合は終盤に2得点を挙げたパルメイラスが逆転勝利を飾るドラマティックな結末で幕を閉じるのだが、この90分で最も激しく感情を露わにして戦っていたのが、パルメイラスのザーゴだった。
 

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