元高校教師からJクラブの社長に転身!群馬の奈良知彦が打って出た「人生最後の大勝負」

2020年04月27日 伊藤寿学

「乾坤一擲」――運を天に任せて大勝負をする

17年末から群馬の社長を務める奈良氏。昨季はJ2復帰に導いた。写真:伊藤寿学

 2017年12月27日、元前橋商高サッカー部監督・奈良知彦氏がザスパクサツ群馬の社長になることが発表され、就任会見が開かれた。

 会見の場には、同時期に群馬の監督へ就任した元市立船橋高サッカー部監督・布啓一郎氏。さらにはクラブの強化育成アドバイザーとなった前橋育英高サッカー部監督・山田耕介氏も同席した。

 奈良氏の社長就任は、驚きだった。

 前橋商サッカー部監督として27年間指導。1988、89年度には全国高校サッカー選手権で2年連続ベスト4入り。着任当時はまったくの無名だった商業高校を全国有数の名門へ押し上げた。04年の異動に伴い高校サッカーの現場から勇退したあとは、別の高校で教頭、校長を務め15年に定年退職を迎えていた。名将は群馬県高校サッカーに大きな功績を残して教育現場から身を引く。教員退職後、大学で授業を持つなどサッカーとは離れて過ごしていた。
 
 だが、群馬県のサッカー界に危機が訪れた。唯一のプロクラブであるザスパクサツ群馬が17年にJ2で低迷し、J3に降格したのだ。窮地に追い込まれたクラブの役員らが救いを求めたのが、群馬県のサッカー事情に精通し、育成年代で確かな実績を積んでいた奈良だった。

 当時のクラブは、成績低迷、財政難、信頼失墜という状況。社長というポジションはあまりにもリスクが大きい。まさに「火中の栗を拾う」作業。当然、家族には猛反対されたが、奈良はこの役を引き受けた。「私を育ててくれた群馬県のサッカーの危機に対して、何もしないわけはいかなかった。ザスパは県内唯一のJクラブ。群馬からJリーグの灯が消えてしまえば、子供たちの夢がかすんでしまう」

 奈良は、旧友の布に声をかけて監督に招聘すると、自らが社長となって荒波に立ち向かっていった。社長就任会見で掲げた言葉は「乾坤一擲(けんこんいってき)」。運を天に任せて大勝負をするという意味だ。「この挑戦は私にとって人生最後の大勝負です。皆さんの力をお貸しください」。さらに「笑顔」「団結」「J2復帰」の3つのビジョンを掲げてクラブ改革へ乗り出していった。奈良が社長を断っていたら、クラブは消滅していたかもしれない。
 

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