「僕らは夢を追っていたから…」デル・ピエロとトッティが語った現役時代の“不仲説とポジション争い”

2020年04月13日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

稀代のライバルは、やがてよき理解者に

イタリアでしのぎを削り合っていた現役時代のトッティ(右)とデル・ピエロ(左)。 (C)Getty Images

 同時期に全盛期を迎えていたふたりのファンタジスタは、互いに大きな敬意を払っている。

 イタリア衛星放送『Sky Sport』は4月12日、イタリアサッカー界のレジェンド、アレッサンドロ・デル・ピエロとフランチェスコ・トッティにインタビューし、様々なテーマについて尋ねた。

 ともに背番号10を纏い、ユベントスとローマのバンディエラ(旗頭)として世界を魅了してきたデル・ピエロとトッティ。不仲説もあった両者だが、デル・ピエロは「ライバルだったけど、互いに大きな敬意を払っていた。夢を追っていたからだ」と話している。

「互いに相手を倒そうという対戦相手として見ていたけど、時間とともに互いのことを話さなくても分かるようになった。お互いに重圧や周囲の環境、様々な選択などを迫られていて、とても似た状況で過ごしていたからだ」

 だが、稀代のファンタジスタたちが共演する機会は決して多くなかった。一緒にプレーできたのではないかとの声に、トッティは「確かにね。我々は似ていたけど特徴は違った。でも、多くの監督はどちらかを選んだ」と答えた。

 デル・ピエロも「(ジョヴァンニ・)トラパットーニの時に共存できることを示した。あとは少なかった。とても残念だ」と続けている。

 イタリア代表が優勝した2006年のワールドカップ(W杯)でも、ポジションを争った。だが、それがふたりの友情に影響することはなかったという。トッティは「ひとつの試合や監督の選択が我々から友情を奪うことはない」と話している。

 デル・ピエロも「まったくなかった。我々は本当に団結したグループだった。特にW杯ならエゴイズムが生まれようもなかったよ」と強調した。

 ともにサッカーの歴史に名を残したレジェンドだが、ふたりともバロンドールには届かなかった。悔いはあるかと問われると、トッティは「みんなが目指すけれど、簡単じゃない賞だ」と答えている。

「アレックスと比べても、自分はチャンスがなかった。ローマは特殊なところで、毎年スクデットやカップ戦で優勝する可能性があったわけじゃないからだ。でも、もちろん欲しかった賞だよ」

 一方で、デル・ピエロは「近づいた時も何度かあったけど、実現しなかった。理由は分からない。でも、特に悔いはないな」と答えている。

 バロンドールには至らなかったがトッティとデル・ピエロがそのたぐいまれな才能で世界を魅了してきたことは変わらない。ただ、本人たちも可能と考えていた共演を、もっと見たかったというファンは少なくないだろう。

構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部
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