2006年ドイツW杯で収めた“デル・ピエロの咆哮”――伝説の瞬間はこうして撮られた【秘蔵写真コラム】

2020年03月18日 ハビエル・ガルシア・マルティーノ

ホセ・ペケルマン体制のアルゼンチンが敗れ…

スタンドに向かって感情を爆発させたデル・ピエロ。この迫力満点の一枚はいかにして生まれたのか? (C) Javier Garcia MARTINO

 ウルグアイ人である私の身体には、イタリア人の血が流れている。

 母方の家族が北イタリアの出身で、幼かった頃、よく曾祖母から故郷の話を聞いたものだった。叔父が調べたところによると、私たちは誰もが知っているベルモットのブランド「マルティーニ」の創業者アレッサンドロ・マルティーニの遠い親類だそうで、曾祖母の代にウルグアイに移民してきた際、姓が「マルティーニ」からスペイン語式の「マルティーノ」に変わったのだそうだ。

 にもかかわらず、私は今までさほどイタリアに興味を抱いていたわけではなかった。実を言うと、行ったこともない。欧州には何度か足を運んでいるが、どういうわけかイタリアを訪問したことは一度もないのだ。

 そんな私だが、過去に1度だけ、イタリア代表の勝利を強く願いながら撮影をしたことがある。それは2006年のドイツ・ワールドカップの準決勝、ドイツ対イタリア戦でのことだ。

 ご存知のとおり、あの大会の準々決勝でアルゼンチンはドイツに敗れた。ホセ・ペケルマン監督が率いたあの代表チームは優勝できるだけの"材料"が揃っていて、取材をしていた私自身も大きな期待を寄せていた。それだけに、PK戦の末に敗退させられた時の無念さは、今思い出しても言葉にならない。
 
 そのため、私だけでなく、一緒に取材していたアルゼンチン・メディアの仲間たちも、続く準決勝では一斉にイタリアの応援にまわった。アルゼンチンもウルグアイと同じく、多くのイタリア移民によって作られた国でもある。

 ところが試合は、アルゼンチンやウルグアイのフォトグラファーにとってハードルの高いものとなった。

 ワールドカップでは試合の当該国のメディアに取材のプライオリティーが与えられる仕組みになっているのだが、この試合は開催国ドイツが決勝進出をかけた大一番とあって、ドイツとイタリア以外の国のフォトグラファーがピッチで撮影できるチャンスはごく限られたものとなってしまったのである。

次ページ歓喜の和に吸い込まれるような錯覚に――

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