【アジアカップ日記】手作り国旗に詰まったパレスチナの「言葉にできない気持ち」

2015年01月14日 熊崎敬

オーストラリアには7000人のパレスチナ人が暮らす。

2日がかりで縫い上げた国旗を抱いて日本戦に駆けつけたオメルさん。万感の思いがそこに——。 撮影:熊崎敬

 強風の中で行なわれたニューカッスルでのパレスチナ戦、ぼくが驚いたのは寒さやスコアではなくて、数多くのパレスチナ・サポーターだった。
 
 パレスチナに行ったことがないぼくは、こんなに大勢のパレスチナ人に出会ったことがなかった。
 
 当事者たちも驚いていた。シドニーからバスを連ねてやって来たファンの中には、打ち振られる無数の「国旗」を目の当たりにして「こんなにいるなんて」と目を丸くする人もいたのだ。
 
 多くの民族が共生するオーストラリア、調べてみるとパレスチナ人は実に7000人近く暮らしているという。
 
「オーストラリアのアジアカップって何だか変だよね」
 
 日本を発つ前、友人とそんな会話をしていたが、考えてみればこの国にはたくさんの移民が暮らしている。パレスチナ人もイラン人も日本人も中国人もたくさんいる。もしかしたら、アジアカップを開催するにふさわしい場所かもしれない。
 
 イランが2-0でバーレーンを破った翌日、テヘランに住む旧知のイラン人から、こんなメールが届いた。
 
「イラン人は世界中にいるけど、オーストラリアにもこんなにいるんだね。俺の周りは、みんな驚いているよ」
 
 今回のアジアカップに、いちばん胸を躍らせているのがパレスチナ人だろう。自分たちの代表チームが、アジア最強を争う大舞台に初めて立つことになったのだ。
 
 ヨルダン川西岸で生まれ、9歳のときシドニーに渡ってきたという18歳のアミールさんは、その喜びをこう語った。
 
「この興奮は、きみには理解できないかもしれないよ。しかもデビュー戦の相手が、チャンピオンの日本というのがいいよね。これはワールドカップでブラジルと対戦するようなものなんだよ。勝てるとは思わないけど、200パーセント、ベストを尽くすよ」
 
 ガザからシドニーに逃れてきた35歳のオメルさんも、「この気持ちは、ちょっと言葉にできないよ」と話していた。
 
 その「言葉にできない気持ち」は、手にした旗が表わしていた。
 
「サッカーを応援するには、やっぱり国旗が要るだろう。世界が見守る中で、パレスチナの国旗を振りたいじゃないか。だから俺は人生で初めて針と糸を手にして、2日がかりでこれを縫い上げた。この竿だって、近所の林で探してきたんだ」
 
 こんなに不細工な旗はないかもしれない。でも、これこそがパレスチナの不屈の精神を物語っている――。ぼくはそう思った。
 
 試合当日、地元紙「デイリー・テレグラフ」には、次のような選手の言葉が載っていた。
 
「アジアカップでプレーできるのはほんとうに誇らしいし、このことは世界中への強いメッセージになると思う。ときにスポーツは、政治よりも主張を伝えることができるんだ」
 
 たしかに、その通りだなと思った。
 
 私たちは戦争以外のパレスチナを知らない。代表チームがアジアカップに出ることで、彼らは自分たちの人生や思いを世界中に伝えることができるのだ。
 
 実際に、この試合でぼくも学んだ。日本がパレスチナと戦ったことで、故郷を捨ててオーストラリアに渡らなければならなかったパレスチナ人が10万人もいた、ということを知った。
 
 政治家のひと言よりも、この日、スタジアムを包み込んだ国旗や歌声の方が、より多くの人に、より深い何かを伝えられるかもしれない。
 
 イスラエルに抑圧された国、パレスチナの代表チームは満足に活動することができない。
 
 家族に会えない選手がいて、仕事でアジアカップに来られない選手もいるという。移動も制限されている。
 
 パレスチナの人々には戦時中というのが平時であって、その中でスポーツをするということがどれくらい大変なことなのか、平和に慣れたぼくには正直、想像もつかない。
 
 生きることが大変なパレスチナと、だれにも邪魔されることなくサッカーに専念することができる日本。あまりにもかけ離れた環境に、この試合をどう捉えればいいのか途方に暮れてしまった。
 
 このウェブでぼくは、「最近6大会で4度も優勝している日本は無敵艦隊のようなものだ」と何度も書いているが、アジアカップでパレスチナの人々と出会って、とても基本的なことに気づかされた。
 
 日本が強いのは戦争をしていないからなのだ。
 
取材・文:熊崎敬
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