名将の器を感じさせるラウール。マドリーの未来は明るい【現地発コラム】

2020年01月15日 エル・パイス紙

クラブがタイミングさえ誤らなければ…

マドリーのBチームを率いるラウール。短期間ながら久保建英も指導した。(C) Getty Images

 レアル・マドリーの未来は安泰だ。私がそう考えるのは、ラウール・ゴンサレスが率いるカスティージャ(Bチーム)の今シーズンの戦いぶりを見ていて、彼がチーム、あるいはクラブを代表することよってもたらされる意味の大きさを改めて実感しているからだ。

 カスティージャは若いチームだ。それゆえ、様々な問題を抱えている。しかしラウールが注入している野心、献身性、信念、抜け目のなさといった要素がそうした弱点をカバーし、チームに確固とした魅力を与えている。

 クラブがタイミングさえ誤らなければ、近未来の名将の誕生を予感せずにはいられない。近年チームに対する過剰な期待が、メディアの報道を加熱させ、クラブの周辺には常に不穏な空気が漂っている。しかしラウールは、そんな中でも数々のプレッシャーを跳ね除け、なおかつマドリーのスピリットを体現できる稀有な人物だ。

 周囲の人間に「ラウール・マドリー」誕生への期待を口にするたびに、まるで申し合わせたかのように「時期尚早だよ」という答えが返ってくる。ちなみに私が25年前に当時17歳のラウールをトップチームにデビューさせた時にもまったく同じことを言われていた。

 マドリーにはいつの時代もスタイル論争が渦巻いていた。私が監督だった時も伝統に即したスタイルというものを模索し続けたが、ある選手の台頭によって全ての謎が解決した。それがラウールだった。もはやその存在そのものがマドリーと言ってよかった。
 
 そしてラウールは言葉ではなく、プレーと行動によってそのスピリットを我々に示した。感覚的にマドリディスモというものを理解し、表現していた。ラウールがサンティアゴ・ベルナベウに立つ。もうそれだけで、スタジアムの空気は一変した。

 マドリーの伝統を背負うことは、すなわちスペクタクルと献身性を両立して実現しなければならないことをラウールは察知していた。人一倍勝ち負けこだわり続けたが、スポーツマンシップに反するプレーと判断すれば、その一線を越えることは決してなかった。彼の価値観は常にマドリディスモという原理原則に依拠していた。

 結果を求めるにしても、威厳のある勝ち方を彼は望んだ。たとえ敗者になるにしても、その負け方にもこだわった。勝者に握手を求めることも決して忘れなかった。クラブのイムノにも歌われるそうした行動のひとつひとつがキャリアの中で刻まれていき、マドリディスモの体現者としてのラウールが形成されていった。
 

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