【J3昇格レポート】レノファ山口FC “維新の地”からの挑戦

2014年12月03日 上田真之介

13年にJリーグ準加盟。JFL参戦即J3へ昇格。

昇格条件の4位以内を確定させた栃木ウーヴァ戦後の集合写真。山口の熱気が伝わってくる一枚だ。

 11月19日に開かれたJリーグ理事会で、山口県全県をホームタウンとするレノファ山口のJ3加盟が正式承認された。同日午後4時過ぎ、山口市内で承認の電話を受けた河村孝社長は「昇格で終わりではなく、ここからが本当に大事な時期になる」と語り、新しいステージでの飛躍を誓った。山口は11月9日のJFL後期最終節で栃木ウーヴァに1-0と競り勝ち、順位条件のJFL年間4位以内を確定させていた。
 
 1949年結成の県教員団を母体とし、2006年にJリーグを目指すクラブとして発足した。"レノファ"とは、明治維新の志士たちを輩出した歴史にちなみ、維新(リノベーション)、戦う(ファイト)、元気(ファイン)を組み合わせた造語。チームカラーは夏みかんが特産の同県に合わせたオレンジで、エンブレムには国宝瑠璃光寺五重塔や長州藩の紋章があしらわれている。山口県が丸ごと入ったような地域のシンボルだ。
 
 チームは中国リーグで常に上位を争ってきたが、岡山ネクストや佐川急便中国など強豪がひしめくなかで苦戦。08年から3年連続で地域決勝大会には駒を進めたものの、苦杯を喫してきた。11年に山口県出身で広島、湘南などで活躍してきた中山元気(現コーチ)が加入。県内各地で開催していたホーム戦を山口市の維新百年記念公園内の施設に集中させ、翌年には同市中心商店街に事務所移転とオフィシャルショップ開設と、チームの強化と同時に環境整備や広報活動も本格化した。
 
 13年にJリーグ準加盟となり、同年の中国リーグでは3位に終わったが、J3発足に伴ってJFLの門戸が拡大し、クラブとしては初めての全国リーグ昇格を果たした。迎えた14年は、新潟ユースや金沢での指揮経験がある上野展裕氏を監督に据え、選手も新卒や他のJFLチームで燻っていた若手を多数獲得。期限付き移籍選手を除く全選手がアマチュア契約を結び、サッカーと別の仕事の二足の草鞋を履くなか、チームは次第に力を付けていった。

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