糾弾の流れに言葉の危うさも…曺監督のパワハラ疑惑に湘南番記者が抱いた違和感と収束への願い

2019年09月17日 隈元大吾

厳しい指導が「ハラスメント」という言葉の下にすべて否定されてしまったら…

曺監督に関する疑惑について、Jリーグはいまだヒアリングの結果を明らかにしていない。果たして、事態の結末は? 写真:徳原隆元

 1か月余りが経つ。発端はJ1リーグ22節を終えた翌日、8月12日未明のことだった。一部スポーツ紙で曺貴裁監督に関する疑惑が報じられた。指導にパワハラの疑いがあるという。

 その数時間前、湘南はアウェーで磐田と戦っていた。残留争いの渦中にある磐田がタフに戦えば、湘南もインテンシティの高いパフォーマンスを発揮した。前半終了間際に先制を許すも、後半開始直後に追いつくと、その後の磐田の攻勢も凌ぎ、ついにはゲーム終盤に突き放す。試合終了間際に1点差に詰め寄られこそしたものの、弛まぬ走力やタイトな球際など最後まで自分たちらしさをまっとうし、3-2で勝点3をもぎ取った。くだんの報道は、そんな激闘の熱も冷めやらぬうちに駆け抜けた。


 以降、この件は新聞やネットを中心に連日伝えられた。本当のところは分からないが、数多の記事のなかには違和感を覚える記述もあれば、明らかな誤りもあった。疑惑と打ちながら、こぞって糾弾に向かっている報道の流れに恐ろしさを覚えもした。
 
 加えて今回の件で感じるのは、「ハラスメント」という言葉の危うさだ。ことプロスポーツの現場――選手も指導者もプロフェッショナルとして対等な立場にある現場――において、暴力は論外として、厳しい指導がこの言葉のもとにすべて否定されてしまったら、指導者は何をもって選手を成長へと導くのだろう。両手いっぱいの飴か、ひたすらに持ち上げることか。しかし豊かな輝きを宿す原石も、傷がつかぬように包むままでは真に磨き上げることはできないのではないか。そうして自身の殻を破るために必要な気付きを得られずに、可能性が閉ざされはしないのか。
 
 曺監督が湘南を指揮して8年、選手が走る意欲をもって生き生きとプレーする戦いはいつしか「湘南スタイル」と呼ばれ、日本のサッカー界に浸透した。併せて厳しいトレーニングも広く知られるようになった。時に部活とも形容される練習はたしかにハードだ。個々にスペシャルトレーニングを課されることもある。だがその指導の根底には、チームの成績以前に選手一人ひとりの成長を思い、我が子に対する親の愛情と同じように100%で向き合う曺監督の想いがあまねく流れている。そして、それは決して一方通行ではないはずだ。数々の若い才能が花開き、経験ある選手も輝きを増していること、またそうしたクラブの実績を踏まえ、成長を志し、あるいは自らを鍛え直したいと、門を叩く選手が毎年集まっている事実が、曺監督の得難い指導を何より裏付ける。
 

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