「久保建英はエトーとボルハを手本にせよ」マドリーからマジョルカに渡って成功した名手をスペイン紙が特集!

2019年08月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

エトーはマジョルカの歴代トップスコアラーに

マジョルカで名を揚げたボルハ(左)とエトー(右)。久保もこの成功例に倣えるか。(C)Getty Images

 現地時間8月22日、レアル・マドリーの久保建英がラ・リーガ1部のマジョルカに1年間のレンタル移籍をすることが発表された。

 スペインの2部B(実質3部)に属するカスティージャ(Bチーム)でプレーする選択肢もあったが、1部のクラブで武者修行をする決断を下したのだ。

 その久保の期限付き移籍を受けて、スペイン紙『AS』は過去にマドリーからマジョルカに渡った名手を引き合いに、「クボはエトーとボルハを手本にする」と題した記事を掲載している。

 最初に「模範にするべき例」として取り上げたのが、カメルーン代表の英雄サミュエル・エトー(現カタールSC)だ。記事によると、マジョルカでは2000~04年に在籍し、154試合に出場して66ゴール・7アシスト。02‐03シーズンには、クラブ史上初の主要タイトルとなるコパ・デル・レイ制覇に貢献するなど、マジョルカの歴代トップスコアラーとして、その名を刻んでいる。

 1996年にマドリーの下部組織に加入したエトーは、17歳でトップデビューを飾った後、レガネス、エスパニョールを経て、3チーム目のレンタル先として00年1月にマジョルカに加入。半年間で13試合・6ゴールと活躍し、完全移籍を勝ち取った。

 そして、計3シーズン半に渡りプレーしたマジョルカで声価を高め、バルセロナに移籍。この時、マドリーが買い戻しオプションを行使しようとしたが、EU外選手枠の空きがなかったこともあり、宿敵のユニホームを纏うことになった。

 そのバルサでゴールを量産し、インテルに移籍した09‐10シーズンにはイタリア史上初の3冠に貢献。エトーは、世界的なストライカーとしての地位を確立していった。
 
 もうひとり「成功例」として紹介されたのが、元スペイン代表MFボルハ・バレロ(現インテル)だ。2007‐08シーズンと09‐10シーズンの二度に渡ってマジョルカに在籍し、78試合に出場して9ゴール・15アシストという結果を残した。

 マドリーのカンテラで育ったボルハ・バレロは、トップチームでは公式戦2試合の出場に留まり、07年にマジョルカに完全移籍。翌シーズンに、イングランドのウェストブロムウィッチ・アルビオンに籍を移し、09年夏にレンタルでマジョルカに戻ってきた。

 その後はビジャレアル、フィオレンティーナ、そしてインテルと渡り歩き、洗練されたテクニックと優れた戦術眼を武器に、いぶし銀の活躍を見せている。

 このボルハもエトーと同じく、マドリーからマジョルカへ渡ったことがステップアップの第一歩となった。はたして久保は、この両雄のように、今回のチャンスを活かして飛躍のきっかけと掴めるのか――。18歳の若武者の挑戦が幕を開ける。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

次ページ【動画】久保建英がマジョルカ・ユニ姿を初披露! 貴重な“舞台裏ムービー”をチェック!

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事