松本山雅で20チーム目――Jトップリーグ昇格で生まれたドラマと歴史

2014年11月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

1993年の平塚、磐田、柏による熾烈な争いから歴史は始まった。

クラブのレジェンド、松田直樹氏に昇格を捧げた松本山雅。来季、新たな喜びの報告をすることができるか。 (C) SOCCER DIGEST

 J2第39節でアビスパ福岡を下して悲願のJ1昇格を果たした松本山雅。最高の手土産を持って地元に凱旋した40節では、ジェフ千葉戦を2-1で下して地元ファンと喜びを分かち合った。
 
 1965年に町の一サッカークラブとして誕生し、着実に実績を積みながら、21世紀に入ってプロリーグを目指すようになってからは、紆余曲折を得ながらステップアップを果たし、ついに大きな偉業をなし遂げた。
 
 まさに夢の結実であり、地元の人々を巻き込んでの喜びぶりは凄まじい。これぞまさに、Jリーグ創設以来の理念に合致した光景と言えるかもしれない。
 
 さて1993年に始まったJリーグ。20年を超える歴史のなかで、トップリーグ昇格の喜びを味わったのはこれまで20チームである。
 
 昇格と降格を繰り返すクラブもあれば、トップリーグに定着したクラブ、逆に再び降格してそこからはなかなか這い上がれないであるクラブなど、現在の姿はさまざまである。
 
 10チームで始まったJリーグは、翌年からJFL(当時のJ2リーグに相当)の2位以内に入った準会員クラブ(Jリーグ入りのための規定をクリアしたクラブ)を迎え、98年まで年々、参加チームを増加させていった。
 
 ドラマは初年度から生まれ、93年のJFLではジュビロ磐田(ヤマハ)、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ/フジタ)、柏レイソル(日立)が2つの枠をめぐって争ったが、最終順位は平塚が優勝し、磐田がこれに続いた。
 
 しかし、平塚がホームスタジアムの基準を満たしていなかったこともあり、柏に昇格の権利が渡る可能性が浮上。柏は望みに抱いて吉報を待ったが、最終的に理事会はJFLの2強を選択した。この時、昇格ならずに落胆する柏フロント陣の姿が、テレビでも再三流されたものである。
 
 翌年、柏はセレッソ大阪とともにJリーグに昇格。95年までは準会員クラブがJFLの2強を占めたが、96年は神戸が2位に入ったものの、優勝は準会員ではない本田技研が奪った。
 
 準会員だった鳥栖フューチャーズは4位に終わるも、本田技研の優勝で昇格枠が1つ空いたこと、また神戸のみの昇格だと翌97年のJリーグは参加チーム数が奇数となってしまうということで、昇格の可能性も浮上したが、最終的に認められず。鳥栖は経営難で解散し、97年Jリーグは各節で1チームが休みという変則の形で行なわれた。
 
 97年のJFLではコンサドーレ札幌が昇格した一方で、準会員の川崎フロンターレは勝点わずか1差で2位の東京ガス(現FC東京)に届かず。翌年は2位に入ったものの、99年からのJ1、J2リーグ誕生に伴い実施されたJ1参入決定戦の1回戦で福岡に敗れ、トップリーグ入りは成らなかった。
 
 J2から初めて昇格したのは、ようやく悲願を果たした川崎とJFL時代からの強豪だったFC東京。以降はJ1、J2の入れ替えが行なわれるようになったこともあり、必ずしも新たなチームがトップリーグに昇格するというわけではなくなった(2000年は札幌と浦和レッズが昇格)。
 
 2004年から入れ替え戦が行なわれるようになり、翌年にはJ2で3位につけたヴァンフォーレ甲府がJ1の16位チームである柏に対して"下剋上"を達成。この形で初めてトップリーグ昇格を果たしたケースは、この年が唯一だった。
 
 2012年からはJ2で3位~6位のチームによるプレーオフが実施されるようになり、13年には4位の徳島ヴォルティスが千葉、京都を下す(千葉戦は1-1だったが、年間順位が上の徳島が決勝進出)という"サプライズ昇格"を達成した。
 
 そして今季、松本が驚きと感動の昇格を果たした。20番目の昇格チームは来季、J1でどのような姿を見せるのか。旋風を巻き起こすのか、あるいは壁にはね返されるのか――。大きな楽しみと興味が生まれた。
 
 それからもうひとつ、現在進行中のJ2において、"ニューフェース"のプレーオフ進出はあるのか。さらには21番目のトップリーグ昇格チームが誕生するのか。こちらからも目が離せない。
 
【写真で振り返る】昇格を果たした20チーム(1993~2014)
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