【ナビスコカップ】「ガンバで勝てないなら自分には手腕がない」自身初タイトルに長谷川監督が見せた安堵の笑顔

2014年11月08日 元川悦子

「タイトルっていうのは、なんとなく取れるものだなと」

自身は08年以来のファイナルとなった長谷川監督だが、今回はタイトルをしっかりとその手中に収めた。(C) SOCCER DIGEST

「私自身、なかなか手が届かなかったタイトルを取ることができた。素晴らしい選手たちやスタッフ、クラブのおかげだと思います」
 
 前半に2点を先行されながら、一気に3点を奪う見事な逆転劇で、ヤマザキナビスコカップを制したG大阪。試合後の記者会見に現われた長谷川健太監督は、心から嬉しそうに本音を吐露した。
 
 少年時代から「清水の三羽ガラス」のひとりとして華々しい経歴を刻み、日本代表でも活躍した長谷川監督にとって、指導者に転身してからの人生は紆余曲折の連続だった。その象徴が2005~10年の6シーズン率いた清水時代だ。
 
 岡崎慎司(マインツ)ら優れたタレントを何人も輩出しながら無冠に終わった。ナビスコカップでも08年にファイナルに進出したものの、勢いに乗る大分に0-2の完敗を喫した苦い思い出がある。
 
「あの時は前夜祭でナビスコの(飯島茂彰)社長に『今回は大分に勝ってもらって、九州にカップを持ち帰ってほしい』と言われて、主役の座を持っていかれる雰囲気が漂っていた」と指揮官は苦笑していた。
 
 G大阪の監督に就任したのは2013年。遠藤保仁、今野泰幸ら日本代表の主力を擁するチームがJ2での戦いを強いられたシーズンだ。「G大阪は素晴らしい選手のいるチーム。これで勝てなかったら、自分に手腕がないということ」と自らを鼓舞して新天地・大阪へと赴いた。
 
 昨季J2ではどの相手も徹底したG大阪対策を講じてきて、長谷川監督も大いに苦しめられたが、まずは手堅い守りで失点を減らし、引いて守る相手を攻略して勝つことに徹した。その1年間に築いたベースをJ1に復帰した今季に生かそうとしたが、シーズン序盤は宇佐美貴史の怪我や新助っ人・リンスの不振もあって下位に低迷。1年でのJ2降格も現実味を帯びつつあった。
 
「苦しい中でもナビスコカップでは若手や明神智和らベテランが頑張ってくれたし、代表が抜けたJ中断前も倉田秋らを中心に踏ん張り、鹿島に勝つことができた。そういう積み重ねが大きな自信につながった」
 総合力を高めるために継続してきたチーム作りがようやく実ってきた。
 
 そして夏以降はパトリックの加入、遠藤と今野がクラブの戦いに専念したことなど前向きな要素が重なり、快進撃を披露。今大会も決勝まで勝ち上がることができた。
 
 しかし埼玉での大一番も一筋縄ではいかなかった。今季の広島戦2試合で機能したダイヤモンド型の中盤がうまくはまらず、前半は相手に主導権を握られ続けたのだ。
 
「試合前に主審の西村(雄一)さんに『岩下(敬輔)には言い聞かせましたから、レッドだけは勘弁してください』と言ったのに、早い時間帯にPKを与え、その後もクリアミスで2点目を取られた」と言うように、清水時代からの教え子が2失点に絡んでしまい、指揮官は動揺を感じ取ったようだ。
 
 しかし、それでも焦らなかった。1年半で築いた選手との絶対的な信頼があったからだろう。そのブレない姿勢が功を奏したのか、2失点目からの3分後、左に流れた遠藤のクロスをパトリックが頭で決め、反撃の狼煙を上げる。
 
 後半からは通常のボックス型の中盤へとシフト。そのタイミングで送り出した大森晃太郎が決勝点を挙げたのだから、采配が的中した喜びもひとしおだっただろう。長谷川監督は「タイトルが取れなかった自分」とついに決別した。

「タイトルっていうのは、なんとなく取れるものだなと。やっぱり心の余裕が大きいのかな。今日は本当に選手に助けられた」と彼はひとつの壁を乗り越えた安堵感をにじませた。
 
 長谷川監督は9月13日の広島戦で、J1での100勝を達成。その大記録に到達したのは、名古屋の西野朗監督と彼だけだ。今回の初タイトルは、G大阪の黄金期を築いた先輩指揮官に近づく大きな一歩となったのではないだろうか。

取材・文:元川悦子
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事