【三浦泰年の情熱地泰】コパ・アメリカ編|ブラジル人は無関心だったが… チリ戦で僕が喜びを感じた理由とカズからのメッセージ

2019年06月19日 サッカーダイジェストWeb編集部

ブラジル人はことさら日本を批判するわけでもなくサポーターを絶賛していた

久保や中島など評価に値するプレーを見せた選手もいたが、現地では日本代表の経験不足を指摘する声も。(C) Getty Images

 日本人であれば、少なからずショックを隠し切れない敗戦となったかもしれない。
 
 歴史的敗戦? と言ったら大袈裟だろうか。しかし、コパ・アメリカの初戦で前回王者のチリに0−4で負けたことに対して、ブラジル国内(サンパウロ内)ではネガティブな反応はそこまでないのが本当のところだ。
 
 通用した部分はあるし、ゴールにも近づいたシーンもあった。攻撃的な選手への評価は高く、中島、久保のプレーは評価に値したようだ。
 
 生で見た僕とテレビで見た人間、テレビ解説者のコメントと、人によっていろんな捉え方があるが、日本代表の失点を見れば経験不足だとほとんどの人は言う。
 
 失点シーンもそうであるが、前線から相手のボールを奪いに行くシーンや、ルーズボールに対しての切り替えのなかで、ボール際での身体の寄せ方、身体の張り方に、経験のなさを露呈してしまった。
 
 逆にチリは、モルンビーに集まった自国のサポーターをバックに巧さを見せつける。若い日本選手が触れないところにボールをトラップして、身体を入れ替える。その「止めて・蹴る」に余裕のあるチリ選手を相手に必死に取りに行っても、頑張り方(ボールの奪い方)の経験がない日本選手は、最終的に相手の良さを引き出してしまう形になった。
 
 現地のブラジル人は日本をことさら批判するわけでもなく、試合後にゴミを拾って帰った青のユニホームのサポーターたちを絶賛していた。
 
 要するに、日本がこの地で負けても誰も関心は持たない。我々(日本)はここで勝って初めてブラジル国民に関心を持ってもらえるのだ。負けても批判、厳しいことは言われないが、それはまだ南米(ブラジル)と比較対象にも入っていないということの表われであるのだ。
 
 僕は立ち上がり20分までの日本選手に驚いた。
 
 僕は18歳から20歳まで、このモルンビーでプレーすることを夢見ていた。僕にとってモルンビーは試合をする場所ではなく、観戦する場所だった。当時、サントスのU20で契約しても、2年間でモルンビーに立てる日などやっては来なかった。
 
 よくプロの試合を見に行き、クラブのサポーターで埋まるスタジアム、自分がプレー出来るかを仮想しながら観戦した。当時は、ピッチに立った瞬間、ひっくり返ってしまうかもと思いながら見ていた。正直、通用する自信はなかった。
 
 それから三十数年の時を経て、その環境に近いコパ・アメリカで、日本にとっての開幕戦で良い入りをしたことに、僕は喜びを感じた。
 
 今の若い選手は南米、ブラジルではなく、ヨーロッパ、プレミアやリーガ、ブンデスであろう。
 
 チリが前からプレスを掛けて来る、その威圧感。そして緊張感のある立ち上がりを、前線の選手たちは自分らしさを発揮し、守備陣はディフェンスラインのアップダウンをこまめに修正し、横のスライドも連動させ、「止めて・蹴る」のプレースピードもチリに劣らなかった。
 
 ただ時間が経つにつれて、チリが徐々に力を出し始める。難しい試合だ。
 

次ページ日本に良さを出されながらも、チリは決定力のありそうな雰囲気を出していた

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