アルゼンチンが観客席にいた選手を使って失格危機を逃れる!? コパ・アメリカで起きた“珍事”を紹介!【現地発】

2019年06月14日 チヅル・デ・ガルシア

103年前の第1回大会で起きた前代未聞の珍事

コパ・アメリカでは、南米ならではの様々な問題が起き、大会を色々な意味で盛り上げてきた。 (C) Getty Images、(C) REUTERS/AFLO

 代表チームが覇権を争う、現存する大会としては、五輪に次いで世界で2番目に古く、大陸選手権としては世界最古でもあるコパ・アメリカは、第1回大会から103年の間に数多くの感動と興奮を生み出してきた。だが、長い歴史も持つがゆえに数多くの「珍事」も起きている。

 栄えある第1回大会では、開催国のアルゼンチンが大会の途中で失格の危機に直面するというハプニングが起きた。

 もともとコパ・アメリカは1916年にアルゼンチンの独立100周年を記念して「Campeonato Sudamericano」(南米選手権)の名称で開催されたもの。その記念すべき大会はウルグアイ、ブラジル、チリが招待されて4か国で行なわれたのだが、サッカーがアマチュアスポーツだった当時は、選手交代がなかったため、どの国にも控え選手がいなかった。

 にもかかわらず、2試合目となった対ブラジル戦の当日、アルゼンチンに問題が発生。なんと、チームきってのスター選手だったストライカーのアルベルト・オハコが、仕事上の都合から出場できなくなってしまったのだ。

 慌てたチーム役員が代役として、同じく点取り屋のリカルド・ナオンを呼ぼうと試みたが、それまで2年間代表から招集されていなかったナオンは急な誘いをきっぱりと拒否。選手が揃わなければその場で失格となり、アルゼンチンは母国の独立100周年記念に泥を塗る形となってしまう……。この絶体絶命のピッチで途方に暮れていた役員は、スタンドに1人の選手の姿を見つける。観客として来場していた、ウラカン所属のFWホセ・ラグーナだった。

 役員が駆け寄って事情を説明すると、二つ返事で引き受けたラグーナは、初めて代表のユニホームを着たにもかかわらず、前半10分に先制ゴールをマーク。試合は1-1のドローに終わったが、ラグーナのおかげで開催国は面目を保ったのだった。

 第1回大会ではこの他にも、ウルグアイに4-0と完敗したチリが、相手チームに2人の黒人選手がいたことを「規則違反」と訴えたり、人手不足から選手が審判を兼任するという珍事もあった。当時はまだ南米サッカー連盟が存在していなかったため、不備だらけではあったが、それでも国際大会を企画して実行できたのはやはり、南米の人々のサッカーに対する情熱があったからこそだろう。

 その後も組織的な失敗を何度も重ねつつ開催が続けられたのも、第1回大会を機にサッカーにおける南米人の競争心に火がつけられたからにほかならない。

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