【元マドリー指揮官の視点】スタジアム改修より新戦力の獲得――マドリディスタのその意見には真っ向から異を唱えたい

2019年04月10日 エル・パイス紙

最先端の“器”こそが必要

改修後のサンティアゴ・ベルナベウのイメージ。※R・マドリーの公式HPより

 レアル・マドリーについて、"現在"はもはや関心事ではなくなった。人々の興味は、もっぱら"未来"に向けられている。

 ジネディーヌ・ジダン監督の記者会見で話題の中心になるのは、試合そのものよりも、現有戦力にどのような診断を下し、移籍市場でどのような新戦力を補強するのかという来シーズンのチーム作りに関するものだ。しかしジダンは選手たちに敬意を払って、どんな質問に対しても論点を外して答えるのである。

 そんななか、人々の関心をさらに掻き立てようと、クラブは本拠地サンティアゴ・ベルナベウの改修プロジェクトの概要を発表した。スタジアムを開閉式の屋根で覆うという画期的な計画だが、しかしマドリディスタ(マドリーのファン)の間ではリフォームに大金をかけるぐらいなら、その資金を新戦力の獲得に投じるべきだという声が後を絶たない。

 しかし、私はその意見に対して真っ向から異を唱えたい。
 
 車と家のどちらを買うのか迷った末に、ベニヤハウスを購入した選手を想像してもらいたい。つまりその選手は、車というステータスの象徴を手に入れるよりも居を構えることを優先し、いま所属するクラブで長くプレーすることを重要視したのだ。しかしその一方で、安上がりの家で済ませることで、いつでも移籍できる余地を残しておいたというわけだ。

 クラブにとってのスタジアムも、それと同様だ。外観が美しくファンにとって快適で経済的に有益なスタジアムは、その建物自体が、人々が集い憩うことのできる街の名所になりうる。

 そしてそうした最先端の"器"こそが数々の偉大な栄光に包まれ、これから新たな時代に踏み出そうとするマドリーが必要としているものだ。

 サンティアゴ・ベルナベウ会長の時代(在任期間は1943年~1978年)もそうだった。47年12月のヌエボ・エスタディオ・チャマルティンの開場を契機に(55年にサンティアゴ・ベルナベウ会長の功績を評して彼の名前を冠することになった)、クラブは急速な発展を遂げ、そして世界的な名選手が続々と加入するようになったのだ。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年に初キャップを刻んだアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。
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