自信、名誉、愛情……78歳のベルルスコーニ・ミラン名誉会長を「現場介入」に駆り立てるもの

2014年10月04日 サッカーダイジェストWeb編集部

オーナーが“所有物”に口を出すのは自然のことではあるが…。

事業の不振やファイナンシャルフェアプレー制度によって、ベルルスコーニ名誉会長の財政面でのクラブへの貢献度は下がったが、オーナーとしての“権利”は今も行使し続ける。写真は2006-07シーズンのチャンピオンズ・リーグ優勝時。 (C) Alberto LINGRIA

 ミランが3節ユベントス戦で完敗を喫した後、シルビオ・ベルルスコーニ名誉会長がフィリッポ・インザーギ監督の採るサッカースタイルに言及し、また5節チェゼーナ戦で4-4-3から4-2-3-1にフォーメーションを変更したことで、ついに現場介入がなされたのではないかという噂が流れた。そして今後、結果が出なければ、昨シーズンのクラレンス・セ―ドルフ監督同様、4-3-1-2へのさらなる変更を強いられるのではないかとも言われている。
 
 とはいえミランに限らず、カルチョのクラブシーンにおいてオーナーの現場介入は珍しいことではない。というより、ワンマンオーナーで成り立っているクラブでは、日常的なこととも言えるだろう。
 
 戦術や選手起用の強制の他にも、自身の好みで選手を補強して監督に起用を強いたり、結果を出せなければ自宅へ帰ることを許さず合宿を課すオーナー(まず頭に浮かぶのはペルージャのルチアーノ・ガウッチ元会長だろう)等々……。一方、90年代前半に黄金時代を築いたサンプドリアの故パオロ・マントバーニ会長や、インテルのマッシモ・モラッティ前会長のように、父親的な存在として選手と深く関わるという、良い意味での現場介入もある(後者は選手を甘やかしすぎたきらいもあるが)。
 
 そのなかで、ベルルスコーニ名誉会長が注目されるのは、イタリア最大のメディア企業グループを一代で築き上げ、さらにフォルツァ・イタリア党の党首としてイタリア共和国の首相まで務めたという、輝かしい経歴が影響しているのは間違いない。ミランを買収して以降、ずっとその言動の一つひとつがニュースとなり、新聞紙面を飾ることになった。
 
 ベルルスコーニ名誉会長は1986年にミランを買収。名門とはいえ、80年代に入ると2度もセリエBに降格し、財政難で存続の危機にすら陥っていたクラブを、その負債とともに引き取ったのだ。「倒産間際のクラブを買収するとは、頭でも狂ったのかと誰からも言われたものだが、ミランへの愛情が私にそうさせた」と当時の会見で語ったベルルスコーニ会長(当時)は、1シーズンの様子見を経て、さっそくチーム改造に着手した。
 
 国内ではローマから有能なMFカルロ・アンチェロッティを引き抜き、オランダから当時脚光を浴びていたPSVのルート・フリットとアヤックスのマルコ・ファン・バステンを獲得。これら新加入選手とフランコ・バレージやパオロ・マルディーニなどの現有戦力が融合した結果、改革1年目にしてミランはディエゴ・マラドーナ擁するナポリとの熾烈な争いを制し、スクデットを獲得。翌シーズンにはチャンピオンズ・カップ(現リーグ)優勝を果たすなど、ここからミランは黄金時代に突入していった。

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