R・マドリーの“出戻り”指揮官10人を現地紙が紹介!成功と失敗は「五分五分」でジダンはどちらに?

2019年03月12日 サッカーダイジェストWeb編集部

カペッロは2度ともリーガを制しながら1年で退任

いずれもマドリーで“出戻り”を経験したデル・ボスケ(左上)、トシャック(右上)、カマーチョ(左下)、カペッロ(右下)。(C) Getty Images

 レアル・マドリーは3月11日(現地時間)、サンティアゴ・ソラーリ監督の任を解き、ジネディーヌ・ジダンを指揮官に呼び戻した。電撃退任から9か月後の、またしても電撃的なカムバックだ。
 
 2016年1月にラファエル・ベニテスの後を継いでマドリーの指揮官となったジダンは、そこから2年半の間に前人未到のチャンピオンズ・リーグ(CL)3連覇を成し遂げた。それだけに、現在の危機的状況からの再建が期待される。その一方で、「復任」が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない、との声も少なくない。
 
 では、過去に"出戻り"したマドリーの監督たちはどうだったのか。スペイン紙『As』が、これまでの10人を紹介している。
 
◇レアル・マドリーで復任を経験した指揮官◇
●ハシント・キンコセス(1946年退任、1947年復帰)
クラブ史上最初の復任を経験。第1次政権でコパ・デル・レイ優勝を果たしたが、復帰してからは17試合のみ。
 
●バルタサル・アルベニス(1947年退任、1950年復帰)
1年目にコパ・デル・レイを制覇。復帰後は16試合と短命に終わる。
 
●ミゲル・ムニョス(1959年退任、1960年復帰)
復帰後に2度の欧州制覇や9回のリーガ・エスパニョーラ優勝など黄金期を築いた。
 
●ルイス・モロウニー(1974年退任、1977年、82年、85年に復帰)
1974年にムニョスの後を継いでコパ・デル・レイを制すと、一旦はカンテラ指導者に戻る。その後3回に渡ってトップチームで指揮を執り、その度にタイトルを獲得した。
 
●アルフレッド・ディ・ステファノ(1984年退任、1990年復帰)
1982~84年の第1次政権では何も勝ち取れなかったが、復帰後はスーペルコパを制した。
 
●レオ・ベーンハッカー(1989年退任、1992年復帰)
第1次政権では3年間で国内リーグ3連覇などを成し遂げたが、復帰後はわずかにタイトルに届かなかった。
 
●ビセンテ・デル・ボスケ(1994年退任、1996年、99年に復帰)
2度の暫定監督を経て、1999年に就任すると、2度のCL優勝やリーガ制覇など黄金期を築いた。
 
●ジョン・トシャック(1990年退任、1999年復帰)
就任1年目でリーガを制覇も退任。第2次政権は結果を残せず解任された。
 
●ホセ・アントニオ・カマーチョ(1999年退任、2004年復帰)
1度目はわずか1か月、2度目も6試合で解任。いずれも上層部と対立した。
 
●ファビオ・カペッロ(1997年退任、2006年復帰)
2度とも就任1年目でリーガ制覇を成し遂げるも、いずれも守備的なスタイルが批判されてクラブを去った。
 
 この過去の結果を振り返ると、成功した監督と失敗に終わった監督は五分五分だ。就任会見でマドリーを「我が家」と表現し、クラブに対する愛情を強調したジダンは、2度目となる登板で、どちらの道を辿るのだろうか。
 
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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