「中学生のころにドリブルで生きると決めた」
PK戦に勝利し、感極まった表情を見せるバイロン。青森山田の攻撃にアクセントを加える、確かな存在感だった。 写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)
舞台は埼玉スタジアム2002。第97回全国高校サッカー選手権大会の準決勝第1試合は、青森県代表の青森山田が福島県代表の尚志をPK戦の末に下し、決勝進出を決めた。
3-3の白熱したシーソーゲーム、そしてPK戦での決着という展開は、選手たちにとってもハラハラものだったようだ。青森山田の右サイドでチームを勢いづけた3年生MF、バスケス・バイロンは試合後に、「すごく心臓に悪い試合だった」と語った。
この試合でバスケスには、アシストなどの記録はついていない。しかし、尚志に1点を先行された前半から右サイドで躍動。相手の守備陣を翻弄すると、後半開始直後には縦にドリブルで仕掛けたところを倒され、PKを獲得し、試合を振り出しに戻すきっかけを作った。青森山田の反撃の突破口はバスケスだったと言えるだろう。
小学生時に早くも166cmの体躯を誇り、FWを務めていたバスケスだが、中学に上がると周囲との体格差、スピードとのギャップに苦しんだという。「そうなった時に何で生きていくかと考えて、ドリブルでいくと決めた」と、現在のスタイルに辿り着いた経緯を明かした。
ドリブルを磨きに磨き抜いた末に青森山田の扉を叩き、プレミアリーグでは1年生ながら試合に出場する機会も与えられた。だが、黒田剛監督からは「左足だけじゃプロになれないぞ」と言われ、守備もできないと評価され、トップチーム定着はならなかった。
3-3の白熱したシーソーゲーム、そしてPK戦での決着という展開は、選手たちにとってもハラハラものだったようだ。青森山田の右サイドでチームを勢いづけた3年生MF、バスケス・バイロンは試合後に、「すごく心臓に悪い試合だった」と語った。
この試合でバスケスには、アシストなどの記録はついていない。しかし、尚志に1点を先行された前半から右サイドで躍動。相手の守備陣を翻弄すると、後半開始直後には縦にドリブルで仕掛けたところを倒され、PKを獲得し、試合を振り出しに戻すきっかけを作った。青森山田の反撃の突破口はバスケスだったと言えるだろう。
小学生時に早くも166cmの体躯を誇り、FWを務めていたバスケスだが、中学に上がると周囲との体格差、スピードとのギャップに苦しんだという。「そうなった時に何で生きていくかと考えて、ドリブルでいくと決めた」と、現在のスタイルに辿り着いた経緯を明かした。
ドリブルを磨きに磨き抜いた末に青森山田の扉を叩き、プレミアリーグでは1年生ながら試合に出場する機会も与えられた。だが、黒田剛監督からは「左足だけじゃプロになれないぞ」と言われ、守備もできないと評価され、トップチーム定着はならなかった。
本人はスタンドから試合を見守り続けた1、2年生時を「逃げ続けた2年間だった」と振り返ったが、この1年は覚悟を決めた。2年生時から使い始めた右足をモノにするために"本気"で使うようになり、縦への突破も意識して取り組んだ。ピッチ外では、「メンバーの誰よりも取り組んできた」という筋トレに励んだ。今では、フィジカル面では同世代に負けないという自信をつけている。
「雪のおかげもあったと思う。雪があったおかげで足腰も強くなって、雪が解けてからスピードが早くなっているという実感を得ることもあった」
青森という土地で培った地道な努力が、右足も駆使した縦への突破という武器を生み出し、チームの決勝進出を勝ち取ることにもつながった。
「チームメイトに左利きがいるんですけど、右で蹴らないで左のアウトでパスを出したら、右のインサイドで蹴れって注意します(笑)」
おどけて肩をすくめながらも、確かな努力の結果を見せつけた11番の姿を、仲間も頼もしく思っていることだろう。決勝の舞台でも、躍動感あふれるドリブルでスタンドを沸かせてくれるはずだ。
取材・文●熊 介子(サッカーダイジェストWeb編集部)
【選手権PHOTO】尚志3(2PK4)3青森山田|大接戦の東北対決を制した青森山田が2大会ぶりの決勝へ!