C大阪“モリシ”新社長誕生の舞台裏。経営経験のないレジェンドに白羽の矢が立ったのは?

2018年12月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

「ジェットコースタークラブ」の歴史を繰り返さないためにも…

現役引退後はアンバサダーに就任し、クラブの顔として活躍した森島氏。16年からは強化にも携わった。(C) SOCCER DIGEST

 誰もが想定していなかった人事が起きた。セレッソ大阪の玉田稔社長が今季限りで退任することが既定路線となっていたなか、12月初旬に次期社長として報道されたのが、クラブOBで元日本代表の森島寛晃氏だった。12月21日に開かれた臨時株主総会と取締役会で承認され、正式に「新社長」となった同氏は、10月中旬にトップパートナーのヤンマーから最初の打診を受けた当時を振り返る。

「自分の中でも、まさかそういう話があるとは思っていなかった。最初に聞いた時には、丁重にお断りさせてもらった。"経営はやったことがないので"と」
 
 森島氏自身も「まさか」と驚いた社長就任。しばらくは断り続けていたというが、ヤンマーサイドの強い意向を伝えられて、態度は徐々に軟化していった。最初の打診から1か月後の11月中旬。社長就任を受諾した。

 C大阪に関わる人で、その経歴を知らない者はいない。91年に東海大一高(現東海大付静岡翔洋高)からC大阪の前身であるヤンマーサッカー部に入団。早くから中心選手としてプレー。"モリシ"の愛称で親しまれ、背負い続けた背番号8はクラブのエースナンバーとなった。活躍はクラブだけにとどまらず、日本代表としても98年と02年のワールドカップに出場。02年日韓大会では、長居スタジアム(現ヤンマースタジアム長居)で行なわれたグループリーグ第3戦のチュニジア戦でゴールを決め、日本中を興奮させた。

 08年シーズン限りで現役を引退。翌年からはC大阪のアンバサダーを務め、クラブの顔として幅広く活動した。16年からは強化部門の職務を担い、昨年からフットボールオペレーショングループ部長に就いた。C大阪ひと筋。まさに"ミスター・セレッソ"と呼ぶにふさわしい存在だ。

 現役引退時には監督を目標に掲げていた森島氏が、なぜ社長に就任したのか。そこには、森島氏に社長就任を打診したヤンマーの思惑が大きく働いていると思われる。
 
 これまでのC大阪といえば、トップパートナーのヤンマーや日本ハムから社長が送り込まれることが常だった。ヤンマー出身の玉田前社長が言うところの「落下傘的」な人事である。ただ、「ジェットコースタークラブ」と揶揄されるほど、C大阪の過去の歴史は浮き沈みが激しかった。J1でリーグ優勝(ステージ優勝も含む)に迫ったのが3回。一方で、優勝を争った翌年には3度もJ2降格を経験している。

 昨季はリーグ3位に加えて初タイトルを含む二冠を獲得したが、さらなる飛躍が期待された今季は無冠に終わった。平均観客動員数でも、リーグ戦では昨季よりも減少。また、ここから下降していくことになるのか。そこで、よりクラブを結束させるため、より方向性を持ってぶれずに進んでいくために「社長」として白羽の矢が立ったのが、森島氏だった。
 

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