[背番号秘話]ベッカムやエリクセン、マテラッツィはなぜ「23番」を選んだのか?

2018年12月24日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

マンCでは23番が永久欠番に。

ベッカム(左上)、マテラッツィ(右上)、エリクセン(左下)、ファン・デルファールト(右下)が23番を背負った理由とは? (C)Getty Images,REUTERS/AFLO

 背番号にまつわる逸話、込められた想いに迫るのが、『ワールドサッカーダイジェスト』誌で好評連載中の「背番号ストーリー」だ。その第4回は「23番」に関するストーリーを紹介する。
 
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 23番と言えばデイビッド・ベッカムだ。マンチェスター・ユナイテッド時代はクラブのエースナンバーである7番を纏ったものの、2003年夏に加入したレアル・マドリーではラウール・ゴンサレスがつけていたため23番を選択。バスケットボール界のスーパースター、マイケル・ジョーダンにちなんで選んだというのは有名な話だ。
 
 R・マドリー退団後に加入したロサンゼルス・ギャラクシーでもこの番号を背負ったが、二度のレンタル移籍をしたミランでは32番だった。23番の"愛用者"だったマッシモ・アンブロジーニがいたからだ。
 
 この元イタリア代表MFは大のNBA好きで知られ、やはりジョーダンと同じ番号をつけたのだった。アッズーリの同僚マルコ・マテラッツィが23番を好んだのも同じ理由だ。
 
 ちなみに、2002年4月のチャンピオンズ・リーグでベッカムに激しいタックルを浴びせて左足の甲を骨折させ、日韓ワールドカップ出場を危うくさせたアルド・ドゥーシェル(当時デポルティボ)も23番だった。
 
 そのベッカムの後、同胞のヴェスレイ・スナイデルがつけたR・マドリーの23番を2008年夏に受け継いだのが、ラファエル・ファン・デルファールトだ。プロデビューを飾ったアヤックスで実質1年目につけたこのナンバーを大切にし、ハンブルクやベティスでも着用した。
 
 R・マドリーでの2年目は、夏の移籍市場で売りに出され、23番は新加入のエステバン・グラネロがつけることになった。しかし、買い手がつかずにファン・デルファールトは残留となり、23番を取り戻したというエピソードがある。結局グラネロは24番となった。
 
 イスコもそのR・マドリーの23番を継承したひとりだ。2013年夏に加入した際、マラガ時代と同じ22番はアンヘル・ディ・マリアがつけていたため、空き番号の中から「兄が23日生まれだから」という理由でチョイス。ディ・マリアが退団した2015年夏に、現在の22番へ変更している。
 
 ベッカムへの憧れもあって、23番を選んだと言われているのが、トッテナムのクリスティアン・エリクセンだ。もっとも、入団したのが移籍期限ぎりぎりの8月30日だったこともあり、アヤックス時代の8番や代表で背負っている10番が空いていなかったという事情もあった。現在では、「エ・リ・ク・セン、セン、セン、俺たちの23番」というチャントとともに、すっかり定着している。
 
 23番が特別な番号になっているクラブがある。マンチェスター・シティだ。2003年6月、当時所属していたマルク=ビビアン・フォエがカメルーン代表の一員として出場したコンフェデレーションズカップ準決勝の試合中に心臓発作で倒れ、帰らぬ人に……。フォエがつけていた23番は、永久欠番となったのだった。
 
 
●23番を背負った主な選手
デイビッド・ベッカム(MF/元イングランド代表)
ラファエル・ファン・デルファールト(MF/元オランダ代表)
クリスティアン・エリクセン(MF/デンマーク代表)
イスコ(MF/スペイン代表) 
マッシモ・アンブロジーニ(MF/元イタリア代表) 
マルコ・マテラッツィ(DF/元イタリア代表)   
マルク=ビビアン・フォエ(MF/元カメルーン代表)
アルド・ドゥーシェル(MF/元アルゼンチン代表)
ジェイミー・キャラガー(DF/元イングランド代表)
カルロ・クディチーニ(GK/イタリア国籍)
ジェルダン・シャキリ(MF/スイス代表)
サミュエル・ウンティティ(DF/フランス代表)
ミチ・バチュアイ(FW/ベルギー代表)
 
※『ワールドサッカーダイジェスト』12月20日号より転載
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