なぜ神戸移籍を決断したのか?山口蛍が愛着と恩義のあるC大阪を離れた理由

2018年12月23日 サッカーダイジェストWeb編集部

現役を終えるまで移籍はないと思われていたが…

C大阪への愛着はひと一倍持っている。それでも移籍を決断したのは、成長のために環境を変えたかったのだろう。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 今季ホーム最終戦となった11月24日の柏戦。0-3で敗れた試合後、選手を代表してマイクの前に立ったC大阪主将のMF山口蛍は、涙を流しながら語った。
 
「今日の試合も含めて、今シーズンここまで辛くて厳しい試合が多かったと思います。それもやっぱり、ピッチに立った選手たちの責任だし、キャプテンを任された自分の責任だと思います。残り1試合ですが……。この2年間、ユンさんとやってきたサッカーをもう一回みんなで思い出して、勝利で締めくくれるよう頑張ります」
 
 C大阪で涙を流したのは、16年のJ1昇格プレーオフ決勝・岡山戦で勝った時以来だろう。今季から主将を託され、ACLも含めた過密日程をこなすチームの先頭に立って走ってきた。誰よりも信頼を寄せてくれていたユン・ジョンファン監督の退任も決まっている中で、苦しかった思いがこみ上げてきたのか、主将の目から熱いものがこぼれた。

 それから数日後。同じ関西を本拠地とする神戸から完全移籍のオファーが届いていることが複数のメディアで報じられた。
 
 C大阪に復帰した経緯を見れば、移籍を選択することはないかと思われた。C大阪の育成組織で育ち、09年にトップ昇格。豊富な運動量と守備力を持ち味に、日本代表として2度もワールドカップに出場するまでになった。15年12月には、さらなる成長を求めてブンデスリーガのハノーファーへと完全移籍。だが、初めての海外挑戦では怪我もあり、出場機会に恵まれず大きな挫折を味わうことになる。そして、半年後の16年6月。完全移籍でのC大阪復帰が発表された。
 
 中学1年から過ごしてきたクラブへの愛着に、ドイツへと渡ってから改めて気づかされた。移籍金を払って買い戻してもらった恩義もある。「山口蛍=C大阪」というイメージは強く、現役を終えるまで移籍はないと思われていた。しかし、山口は最終的に神戸への移籍を決断した。
 
 満額の移籍金とともに、神戸側が年俸1億円以上という好条件を提示したことも大きかっただろう。バルサ化を図る神戸に加入すれば、イニエスタらとプレーできることも背中を押す材料となったはずだ。
 
 とはいえ、C大阪が慣れ親しんだ場所だからこそ、あえて環境を変えたかったのも事実だろう。

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