モドリッチの獲得失敗をマンC幹部が明かす…たった“1000万ポンド”が支払えず

2018年09月08日 サッカーダイジェストWeb編集部

「シティにとっては最悪のタイミングだった」

キャリアの絶頂期にあるモドリッチ。いまから10年前にひとつの分岐点を迎えていたとは……。(C)Getty Images

 いまや世界有数の金満クラブとなったマンチェスター・シティ。移籍市場では狙った獲物は逃がさないとばかりに、アブダビ資金を前面に押し出してチーム強化を進めてきた。
 
 そんなシティが、ほんの10年前に超が付く大物の獲得に失敗していたという。英紙『The Sun』が伝えている。レアル・マドリー所属のクロアチア代表MFルカ・モドリッチで、なんと交渉決裂の理由は"資金難"だったのだから驚きだ。
 
 2008年夏、22歳ながらディナモ・ザグレブで不動の司令塔として活躍し、クロアチア代表での地位も確立させていたモドリッチ。EURO2008を控えた直前、いよいよ国外のビッグクラブへの移籍に機が熟し、相談相手としたのが大親友のDFヴェドラン・チョルルカだった。彼はシティに籍を置いており、モドリッチにマンチェスター行きを薦めたのである。クラブ幹部だったベルナルド・ハルフォード氏がこう振り返る。
 
「ヴェドランはモドリッチの実力に太鼓判を押していたし、世界最高のMFになるとも言っていた。値段を聞けば1000万ポンド(約15億円)。支払えない額ではなかったが、あの頃のシティにとってはタイミングが最悪だったんだ」

 
 当時のオーナーはタイの元首相タクシン・チナワット氏で、資金の不正流用などの咎でタイ政府から資産を凍結されていた。その数週間後にタクシン氏は辞任し、経営権を現在のアブダビ資本会社に売却、シェイク・マンスールが新たに代表の座に就いたのだ。現在もクラブで要職を務めるハルフォード氏は「わずかなタッチの差でモドリッチを取り逃がした。あのとき彼を獲得していたらまた異なるシティの歴史が築かれていたかもしれないね」と回顧する。
 
 シティ行きが破談となったモドリッチは、直後にトッテナム・ホットスパーへの入団を決意する(その数週間後にはチョルルカも加入)。なんと移籍金は当時のクラブレコードである2000万ポンド(約30億円)に跳ね上がっていた。逃がした鯉は、やはり大きかったのだ。
 
 それからの10年でモドリッチはワールドクラスへの道を一気に駆け上がった。ロシア・ワールドカップでのハイパフォーマンスを受けて、2017-18シーズンのUEFA欧州最優秀選手賞に輝き、バロンドールの有力候補のひとりにも挙げられている。
 
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