【W杯 特別寄稿】「ティブロン」メッシの脅威とアルゼンチンの限界

2014年07月05日 ディエゴ・ラトーレ

ワールドカップ優勝という「ノルマ」に向かって黙々と。

試合から消えていたかと思えば、血の一滴を嗅ぎ分けるサメのように、相手の一瞬の隙を見逃さず勝負を決定づけるメッシ。アルゼンチンのすべてと言っていいだろう。 (C) Getty Images

 例えるなら、リオネル・メッシは暖かい海に生息するティブロン(スペイン語でサメの意)だ。大海のなかで、一滴の血を嗅ぎ分けるティブロンのごとく、わずかなスペースを察知し、試合を決めるプレーを非情に遂行する。
 
 現在のアルゼンチン代表で、このメッシと同じサッカー観を共有するのはアンヘル・ディ・マリアだけ。残る9人は、獲物を仕留める機会を虎視眈々とうかがうエースのサポート役を、ただ買って出るしかない。
 
 それにしても、メッシはどうして散発的にしか全力疾走をしないのだろうか。どうして、もっと裏のスペースに走り込むなどしてボールをもらう工夫をしないのだろうか。チャンスと見極めた時にしか本気を出さず、あとは流してプレーするだけ。チーム全体に与える影響は小さく、それはリーダーと呼ぶに値しない。継続性とは無縁のプレーぶりだ。いまのメッシには、サッカーを心から楽しんでいたかつての無邪気な姿は見られない。ワールドカップ優勝をノルマと捉えて、その達成のために黙々と取り組んでいる。
 
 その気持ちは、分からないではない。若くしてバルセロナへと渡ったために、母国の人々から愛国心を疑問視され、自己表現が苦手な性格がそうした状況にさらに拍車をかけた。常に賛否両論を巻き起こしながらも抜群のカリスマ性で人々を魅了したディエゴ・マラドーナとは、まさに対極に位置する。
 
 迎えた今回のワールドカップは、メッシにとって絶好の機会だ。すでに栄光に満ちたキャリアに唯一欠けているビッグピースを加える、その絶好のチャンスである。イラン戦やスイス戦のように、試合終了のホイッスルが鳴る最後の瞬間まで、みずからの任務を遂行しようといつにも増して懸命に努力しているのは、そんな気持ちの表われにほかならない。
 
 いまのメッシのように、瞬間的にしかビッグプレーを見せない選手を評価するのは困難だ。90分間の大半は無防備に浮遊しながら、ひとたび血の匂いを嗅ぎ取れば、突然凶暴なティブロンに変身する。

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