W杯メンバー選出の大島僚太、若き“リンクマン”の成長の裏に二人の天才の存在が

2018年05月31日 江藤高志

「日本らしさを示して勝ちにいきたい」

W杯のメンバー23人に選ばれた大島僚太。「結果にこだわって勝にいく」と力強く抱負を語った。 写真:江藤高志(川崎フットボールアディクト編集長)

「大島僚太は入りますかね?」との質問に、中村憲剛は確信を持って「入りますよ」と即答した。根拠は「それくらいのタレントだから」。大島がA代表では初めてフル出場したガーナ戦前のことだった。

 その大島が日本代表合宿に合流した5月24日の練習後、取材陣を前に中村憲剛への感謝を述べているが、その言葉を伝え聞いた中村は「そういう言葉がポッと出てくるような人間性の選手だからこっちも忌憚なく話ができるんですよね」と話していた。

「最初の方はきついことも言ったこともあります。30番、16番時代(新加入の2011年~2015年の背番号)は結構ガミガミガミガミ、オレと(大久保)嘉人なんかは言ってましたからね」と当時を振り返る。

 大久保嘉人はよくぼやいていた。2014年頃だったか、相手DFのギャップをうまく突いているにも関わらずパスが出てこないのだと。不満の対象は大島だった。

「縦に出せないんですよ」。堂々とそうボヤくくらいだから、大島とはピッチ外でも話し込んでいるのかと思っていたが、大久保は一方的に言い放つだけだったという。

「前に出せと言い続けただけでしたね」。そう言われていた大島は、いつしか縦にパスを出す感覚を身に付けていった。これについて大久保は「どうすればいいのか、僚太なりに考えたんだと思いますよ」と話している。

 日本を代表するふたりの天才プレーヤーに鍛えられ、大島は成長を続けた。近くで見続けてきた中村が言うには、大島はいわゆる負けず嫌いな性格だという。

「サッカーだけでなくメンタルのポテンシャルもありましたよね。飄々としてそうですが、実は内面は相当強いですからね」

 かつて大島に中高時代の話を聞いたことがある。多くの選手がそうであるように、中学の頃の大島は走る練習が嫌いだった。ところが高校1年のとき、突然その考え方を変えたというのだ。

「(走る練習は)サッカーを楽しむには一番必要なことだなと置き換えられるようになったんです」

 きつい練習も自分のためだと考え方を変えられたことで、遡って「中学のときにあんな気持ちで走ってたのがもったいなかったなと思いました」とも話している。中高時代のこの経験が、ふたりの天才からの叱責にも似た要求に食らいつき、それをクリアしてきた成長過程の原動力になっているのだろう。
 
 中村は今の大島について、「リンクマンなんですよね。いろいろな選手を繋げられる選手だから」と表現する。大島は決定的なスルーパスを連発する選手ではなく、中盤を落ち着かせ、周りの選手を使い、ドリブルでボールを運び、ラストパスのひとつ前の局面をお膳立てできる選手だ。

 そうした大島の今を踏まえ、中村は「ひとつだけ言えば試合を決められるくらいになってほしい。今も影響力はありますが、まだ怖くない。上手い選手から、怖い選手になってほしい」と話す。

「そこをもっと研ぎ澄ませればここから日本の中盤にずっと君臨できる」

「もう」とも「まだ」とも言える25歳に世界での挑戦権が巡ってきた。人知れず積み重ねてきた膨大な努力で、スタートラインに立った。

 メンバー選出を受け会見に応じた大島はロシア大会に向け「国の代表としての大会ですし、責任も重圧もありますが、その中で日本らしさというものを示して結果にこだわって勝ちにいきたいです」と答えた。

 背負わせてしまうのは申し訳ないと思っていたが、頼もしい言葉だった。とにかく期待したい。

取材・文●江藤高志(川崎フットボールアディクト編集長)
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