日本代表新監督に電撃就任! J最多270勝の西野朗とはどのような指導者なのか

2018年04月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

いまなお語り継がれる「マイアミの奇跡」

クールな戦術家の印象が強かった西野氏。およそ2年半ぶりに、名将が現場復帰を果たす。(C)SOCCER DIGEST

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の更迭を受け、新たに日本代表の指揮官に指名された西野朗氏。技術委員長として辣腕を振るってきた名将が、およそ2年半ぶりの現場復帰を果たす。
 
 監督としてJリーグ最多の270勝を挙げている西野氏は、1955年生まれの62歳。浦和西高を経て早稲田大に進むと、その在学中に日本代表デビューを果たした。卒業後は日立製作所(現柏レイソル)に加入。90年に現役を退き、指導者の道に進んだ。
 
 引退した翌年にU-20日本代表監督に就任し、94年にはアトランタ五輪を目ざすU-23代表監督に昇格。日本に28年ぶりの出場権をもたらすと、本大会ではグループリーグ初戦でリバウドやロベルト・カルロス、ベベットなどを擁したブラジルから勝利を挙げた。結果的に決勝トーナメント進出は逃したが、カナリア軍団を撃破した快挙は"マイアミの奇跡"として、いまもなお語り継がれている。

 
 五輪後はJクラブで監督を歴任。98年から柏で指揮を執り、翌年にはナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を制覇した。そして、指導キャリアにおいて最大のハイライトとなったのが、2002年から監督を務めたガンバ大阪時代だ。Jリーグ発足以降タイトルと無縁だった浪速の雄を鍛え上げ、就任4年目の05年に自身初のリーグタイトルを獲得。G大阪にとっても初のJ1制覇となった。
 
 08年にはアジア・チャンピオンズリーグで初優勝。同年のFIFAクラブワールドカップでチームを3位に導くと、天皇杯も制した。09年にも天皇杯を連覇したが、10年は開幕から低迷して4シーズンぶりの無冠に終わると、11年もタイトルを掴めず。同年限りで青黒軍団での長期政権にピリオドが打たれた。
 
 12年5月にはヴィッセル神戸の監督に就任したが、同年11月に職を解かれた。14年からは名古屋グランパスで指揮を執るも目に見える結果は残せず、15年シーズン終了後に退任した。
 
 Jリーグの舞台を去ってからは、日本協会に活躍の場を求めた。そして16年3月から日本協会理事および技術委員長に就任し、代表強化を担うトップとして尽力した。今回はそのすべての要職を辞し、退路を断ってワールドカップに臨むという。
 
 もっともJで結果を出した日本人指揮官が、62歳にして初めて挑む世界最高峰の舞台。はたして天性の勝負師はどんな采配を見せるのか。スタッフ陣などの顔ぶれはあらためて木曜日に公表される予定だ。
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