【小宮良之の日本サッカー兵法書】善と悪、正解と不正解、運と不運…全てが曖昧模糊なピッチの上

2018年04月06日 小宮良之

成功の有無を決する不規則かつ不条理な何か

サッカー史に永遠に残るであろう頭突き事件。ジダン、マテラッツィの行動の是非をめぐって論争が巻き起こったが、ピッチ上では勝者と敗者は明確に分けられた。 (C) Getty Images

 先日、知り合いから、子どもについての進路相談があった。来年に大学受験を控え、将来を模索しているのだという。スポーツマスコミにも興味があるようだ。
 
 何が必要なのか?
 
 どうあるべきで、どうやったら、うまくいくのか。それを、業界の人間に聞くのは悪いことではない。むしろ、正しい手順だろう。ただ、自分のケースが彼に当てはまるはずはないし……。何を語るべきか悩ましい。
 元も子もない話かもしれないが、どんな仕事でも機会を掴むには、「幾らかの運が必要」だろう。それはタイミングのようなものなので、不規則かつ不条理なものである。
 
 様々に、「成功本」のようなものはたくさん出ている。ただ、どうやったら成功するのか、という方法論に落とし込もうとすると、失敗するだろう。メソッドが第一になって、目的が霞んでしまうのだ。
 
 選手の成功失敗も、どこにターニングポイントがあるのか分からない。
 
「信念を持ち、自分を貫け」
 
 そう主張する人がいる。それは、一部は正しいが、監督やチームメイトがいるスポーツでは、柔軟性や調和も必要になる。かといって、「誰とでも仲良く」という精神では、自分がない、個性がない、として、誰にも頼りにされず、戦力にはなれない。物事には、常に正解と不正解が潜んでいる。
 
「フェアプレー」
 
 日本では、これを特に重んじているフシある。運動競技として、清く正しく――。それは、理想としては素晴らしい。絶対的な「善」である。
 
 ところが、フェアであることは、必ずしも成功に結び付かない。
 
 2006年ドイツ・ワールドカップ決勝のイタリア対フランス。フランスのジネディーヌ・ジダンは現役最後の大会を雄々しく戦い、頂点に立つに相応しい輝きを見せていた。
 
 ところが延長戦、イタリアのDFマルコ・マテラッツィの挑発に耐え切れず、頭突きを喰らわして退場を宣告されてしまった。フランスはPK戦の末に敗れ、ジダンはこのようなかたちでスパイクを脱ぐことになった。

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