【指揮官コラム】三浦泰年の『情熱地泰』|尊重し過ぎて何も言えないのではつまらない!

2018年03月29日 サッカーダイジェストWeb編集部

年下が年上かを、唯一の判断材料としてリスペクトする世の中ではおかしい。

鹿児島は開幕4試合を終えて9位につける。シーズンはまだ始まったばかり。個々からの巻き返しが期待される。(C) SOCCER DIGEST

 昨年来、引き続き『忖度』という言葉を頻繁に耳にする。理由はご存知の通りだが『忖度』を辞書で確認してみた。
 
 忖度(そんたく)とは――。
「他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること」である。
 
「忖」「度」は、いずれの文字にも「はかる」「おしはかる」の意味がある。意味としては、事情がなければ普通のことである。
 
 50年近く、耳にも口にもしなかった言葉がいきなりこのように目の前に現われると、びっくりするが、使ってはいけない言葉ではないということなのだろう。
 
 サッカーではよく『リスペクト』という言葉が10年前くらいから使われるようになった。
日本語で言えば『尊重』するということだ。この尊重も調べてみると、「尊いものとして重んずること」とある。
 
 サッカーで使う『尊重』は、まずは試合前の確認としてチーム側にレフェリーをリスペクトするよう促される。もちろん、サポーターやファン、マッチコミッショナーをリスペクトするようにだ。だが逆はない。レフェリーにチーム、監督、コーチングスタッフ、選手をリスペクトするように促されることは一度もない。これは現実である。
 
 忖度も尊重も、上下関係の力学によって行なわれるモノなのであろうか?
 
 スポーツの世界では違うように僕は考えている。よく監督が使う言葉に『相手をリスペクトしすぎる必要はない』というものがある。これは自分たちより力があると言われているチームや選手に対して遠慮などが生まれる、上下関係を強く持つ日本人ならではの事であり、外国人監督がよく使う。
 
 きっと日本人にとっては気づきもしない、自然とそうなってしまうことなのであろう。目上の方を尊重し、敬意を払いなさいと教わる文化から来るものかもしれない。もちろん忖度も尊重も決して悪を指す言葉ではなく、上下関係から「そうしなくてはいけない」となった時に「少し違うのでは?」となる。
 
「リスペクトをしすぎる」という場合、それは怖がっている。という態度になるからであり、スポーツの世界、それもプロの世界において、怖がってしまったら勝負は見えてしまう。ブラジル選手の持つリスペクトと日本人選手の持つリスペクトは大きく違うような気がする。
 
 過去はリスペクトするべきだが、現在目の前にいる人間をリスペクトするべきか⁉
それを判断し、感じとって、リスペクトすべき人を超えていき、リスペクトする大きなクラブを追い越していく。
 
 生まれた日は誰もが一日しかないはず。そうすれば年下が年上かを、唯一の判断材料としてリスペクトする世の中ではおかしい。
 
 立場がある人を、ただ権力と権限を持っている立場だからという理由で、リスペクトするのもおかしい。その人が間違っていることをやっていれば、リスペクトすべきではないのだ。
 

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