【日本代表W杯の軌跡】手が届かなかった勝点|98年フランス大会・クロアチア戦

2014年05月30日 週刊サッカーダイジェスト編集部

息苦しささえ覚える、両チームのめまぐるしい展開。

中田は攻守両面で奮闘し、中山への決定的なロングパスなどチャンスメイクで冴えを見せたものの、報われなかった。 (C) SOCCER DIGEST

 間もなくブラジル・ワールドカップが開幕。日本は5度目の大舞台で過去最高の成績を目指す。ワールドカップなど夢のまた夢だった長い低迷の時期、最終予選の最終試合で迎えた悲劇的な結末など、紆余曲折を経て本大会に辿りついたのが1998年。そこから途切れることなく、大舞台に立ち続けている日本は、南米の地でどれほど進化した姿を見せてくれるだろうか。
 
 日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく。当時の興奮を思い出しながら、間もなく始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
 
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「我々には暑さが問題だった」と、試合後にアリョーサ・アサノビッチは語った。しかし、暑さはクロアチアだけを不利にしたわけではない。コンディションは両チームに平等であり、そのなかで日本は互角以上の戦いを見せた。しかし、結果は敗戦。勝者と敗者の間には、一体どんな差があったのか。
 
 試合は立ち上がりから両チームが相手ゴール前に接近する激しい攻防となった。日本が左サイドの相馬を起点にすれば、クロアチアは前線のダボル・シュケルにボールを集める。13分に日本が決定機を掴めば、1分後にクロアチアに得点チャンスが生まれる。
 
目まぐるしい展開に、暑さもともなって息苦しささえ覚える。日本がスカッと得点を奪うことが、緊張感を和らげる特効薬となる。張り詰めたムードが漂うなか、試合はイーブン・ペースで進んだ。
 
 そんななか、日本がパスワークを駆使した組織力で攻撃を仕掛け、クロアチアは個々の選手が強引な突破を仕掛けた。たとえば1分に日本が中田英寿→城彰二→名波浩→相馬直樹とつないで左サイドを突破したかと思えば、6分にクロアチアはロベルト・ヤルニが名良橋晃を振り切ってクロスを入れる。
 
 ともに決定打は出なかったが、お互いに限りなくゴールに近いところまで到達していた。

次ページシュケルの一発に沈み、グループ突破は絶望的に…。

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